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新潟県高校略称一覧表



上 越 地 区
 上越地区に属する高校は(1)長岡・柏崎学区のうち柏崎地区、(2)上越学区の2学区に跨る。
 柏崎学区は2001年度の入学生から長岡学区と統合されたが、高校野球の地区割りとしては、そのまま上越地区の所属となっている。
 そもそも、柏崎・刈羽地区は、行政上は中越地区という位置付けだが、高校球界で柏崎学区が上越地区の所属となった理由としては、上越学区の学校だけでは所属校数が少ないため、運営上問題が生じる可能性がある点の他、柏崎高が、もともとは高田高の分校として創立されたという歴史上の遠因も考えられる。

柏 崎
かしわざき/県
柏崎市
はっこう ◎.000(0-1)
 75(21世紀枠)
○−
 1900年、高田中の分校として開校。02年に独立した。
 グラウンドはかつて、刈羽地区の総合運動場としても機能しており、昭和40年代前半までにかけては高校野球の公式戦開催球場も務めていた。そればかりか、50年7月18日にはセ・リーグ公式戦・巨人−大洋戦が開催されたこともある。

柏 崎(小国)
おぐに/県
刈羽郡小国町
◎−
○−
 1948年、柏崎農(中里)として定時制で開校。翌49年、町村合併で小国分校に改称。68年から全日制に移行、74年に本校が柏崎農から柏崎に移管した。

柏崎常盤
かしわざきときわ/県
柏崎市
ときわ ◎−
○−
 1903年、刈羽郡立高等女学校として開校。07年に県移管、48年の学制改革で柏崎女子となり、50年に現校名に。76年から共学化。02年度より被服科が柏崎総合に移管。

柏崎総合
かしわざきそうごう/県
柏崎市
はくそう
(そうごう)
◎−
○関守雄(毎、柏商)
 1910年に刈羽郡立乙種商業学校、翌11年に刈羽郡立農業学校が、それぞれ開校。両者とも22年に県へ移管。48年の学制改革でそれぞれ柏崎商、柏崎農となる。
 2002年、この2校と柏崎常盤の被服科が発展的解消する形で統合し、柏崎農を存続校として総合学科校に改組され、現校名に。柏崎商は04年3月を以って廃校。

柏崎工
かしわざきこうぎょう/県
柏崎市
かしこう
(こうぎょう)
◎−
○平野克明(洋)
 1939年、県立柏崎工業学校として開校。
 柏崎が「はっこう」なのに対し、こちらは訓読みで「かしこう」と呼ばれる。学区内では「工業」。

柏崎翔洋中等
かしわざきしょうよう
ちゅうとう/県
柏崎市
しょうよう ◎−
○−
 2003年、中高一貫校として開校。

新潟産業大学附属
にいがたさんぎょう
だいがくふぞく/
柏崎市
さんふ
さんだい
ふぞく
◎−
○−
 1958年、新潟短期大学附属として開校。87年12月、翌春の新潟産業大学開校に備えて現校名に。年配者は旧校名から「短付」「短高」とも。

出雲崎
いずもざき/県
三島郡出雲崎町
いずこう ◎−
○−
 1948年、村立西越として開校。52年に県移管。西越はJR出雲崎駅周辺の旧地名。
 2002年、単位制に移行、現校名に。04年から定時制扱い。

高 田
たかだ/県
上越市
こうこう
たかだ
◎−
○渡辺一衛(映)、山崎夏生(パ審)
 高田藩校であった修道館を源流とし、1874年に公立新潟学校第四分校として開校。以降、私立、町村立、郡立、県移管などを経る。
 旧制時代は主に「こうちゅう」と呼ばれ、学制改革後は「こうこう」或いは「たかこう」と呼ばれるようになる。しかし前者は語呂が悪く、また後者は高田工を指すことが多い。そのため、最近は「たかだ」と呼ばれるケースが主。但し、文化祭は「高高祭(こうこうさい)」という。雪の結晶を模した校章から「雪章校」の異称も。

高田北城
たかだきたしろ/県
上越市
きたしろ ◎−
○−
 1900年、中頚城郡立高田高等女学校として開校し、07年に県移管。48年の学制改革で高田女子(現上越とは無関係)、50年に現校名。75年から共学化。

高田農
たかだのうぎょう/県
上越市
こうのう
(のうこう)
◎−
○−
 1899年、中頚城郡立高田農学校として開校。1907年に県移管。

上越総合技術
じょうえつ
そうごうぎじゅつ/県
上越市
◎.000(0-1)
 72(高工)
○笠原敦郎(洋、直工)
 旧高田工、直江津工。高田工は1916年、高田市立商工学校として開校。県移管を経て、44年には戦時下で工業学校に。48年の学制改革の際に商工分離、高田工に。直江津工は1964年、直江津の工業科が分離独立して開校。03年に両校が統合、存続校を高田工として現校名に。

高田商
たかだしょうぎょう/県
上越市
こうしょう
(しょうぎょう)
◎.500(1-1)
 58
○−
※系譜は上越総合技術を参照

高田南城
たかだみなみしろ/県
上越市
みなみしろ ◎−
○−
 定時制。94年、単位制に移行。

直江津
なおえつ/県
上越市
なおこう ◎−
○−
 源流は、1910年開校の中頚城郡農商学校と、24年開校の町立直江津実科高等女学校。共に改組などを経て、48年の学制改革でそれぞれ直江津実、直江津女子となる。50年に統合され、現校名に。64年には工業科が分離独立、直江津工となる。

関根学園
せきねがくえん/
上越市
せきね ◎−
○−
 1908年、女子技芸専門学校として開校。その後改組など変遷を経て、52年に高田女子実となる。62年に男子部を新設し、高田北辰に改称。46年には男女両部が分離独立し、女子部は高田中央女子となる。78年に再び両校が統合され、現校名に。

上 越
じょうえつ/
上越市
じょうえつ ◎−
○−
 1904年、私立女子裁縫学校として開校。その後、改組や改称を経て、48年の学制改革で高田家政に。61年に、普通科増設で高田女子(現高田北城とは無関係)となり、82年から共学化されたのに伴い、現校名に。

新 井
あらい/県
新井市
あらこう ◎−
○−
 1911年、中頸城郡立新井農学校として開校。24年には町立新井実科女学校が開校。48年の学制改革と共に合併して現校名に。49年に普通科、52年に商業科をそれぞれ設置、79年農業科募集停止、93年被服科募集停止などを経て、96年から総合学科化。

有 恒
ゆうこう/県
中頸城郡板倉町
ゆうこう ◎−
○−
 1896年、私立有恒学舎として開校。1943年に有恒中学校となり、48年の学制改革で私立有恒となる。51年からは全日制が私立、定時制が板倉町立という変則的な運営体系に。64年に両課程が県に移管。私立校が公立校に移管した、全国的にも珍しいケースである。
 有恒とは、論語の「亡くして有りと為し、虚しく盈つると為し、約にして泰と為す。難きかな、恒あること」から引用したもの。

吉 川
よしかわ/県
中頸城郡吉川町
◎−
○−
 1910年、中頚城郡立吉川農学校として開校。22年に県移管。48年の学制改革で吉川農となり、定時制の高田農(吉川)が開校。翌49年には定時制が移管、50年に現校名に。57年に醸造科設置、84年新入生から農業科から普通科に転科。醸造科は、高校では全国で唯一、酒造などを学ぶ学科として有名だったが、少子化、志願者数の減少など、教育や社会の実勢に見合わなくなったため、04年を以って廃科。代替措置として、02年新入生から普通科に食品化学コースを設けている。

柿 崎
かきざき/県
中頸城郡柿崎町
◎−
○−
 1948年、直江津実(柿崎)として開校。50年、本校が直江津に改称。52年、町立として独立、61年に県移管。

松 代
まつだい/県
東頸城郡松代町
◎−
○−
 1948年、安塚農(松代)として開校。51年、村立として独立、54年に県移管。

安 塚
やすづか/県
東頸城郡安塚町
やすこう 軟−
○−
 1911年、東頚城郡立安塚農業学校として開校。22年県移管。48年の学制改革で安塚農となり、49年普通科増設で現校名に。

安 塚(松之山)
まつのやま/県
東頸城郡松之山町
まつぶん 軟−
○−
 1948年、安塚農(松之山)として開校。50年、本校改称で現校名に。68年全日制移行。

糸魚川
いといがわ/県
糸魚川市
いとこう ◎−
○−
 1903年、高田中の分校として開校。07年に独立。13年の1年間だけ西頸城郡立となり、翌14年から再び県に移管。50年に糸魚川女子を統合。61年、商業科が分離独立し、糸魚川商工(現糸魚川白嶺)となる。

糸魚川白嶺
いといがわはくれい/県
糸魚川市
はくれい ◎.000(0-3)
 54、55
 48
○吉川和男(京)、関本四十四(洋)、
 黒坂幸夫(ヤ)
 1961年、糸魚川の商業科が分離独立、工業科も設置して糸魚川商工として開校。98年、総合学科化で現校名となる。
 年配者には「糸商」と言った方が馴染み深いか。

海 洋
かいよう/県
西頸城郡能生町
かいよう ◎−
○−
 1898年、能生町立尋常高等小学校で、訓導兼学校長の片田久冶郎氏が水産に関する授業を始めたのがそもそもの起源。翌99年、能生町立能生水産補修学校として発足。1904年に郡に移管、05年に能生水産学校に改称し、08年、県に移管。48年の学制改革で能生水産となる。漁業産業の斜陽化などもあって、特に80年代からは定員割れが続いていたが、93年、学科の大幅な改組を行い、現校名に。
 漁業実習や航海実習のほかに、環日本海交流でロシア極東部や韓国、中国などへも足を伸ばしており、全国の水産科高校のモデルケースにもなった。






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