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●Top/Prologue ●施設概要/交通 ・交通ワンポイント ●コラム 1.オリスタとは 2.スタンド概要 3.内外野スタンド 4.フィールド 5.問題点 6.主な公式戦 7.人工芝 8.おわりに ●過去のプロ野球 2004年 2003年 2002年 2001年 2000年
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| プロ・社会人は「大いに活用」 しかし高校球界では「宝の持ち腐れ」に |
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![]() スタジアム1F正面エントランスホール(試合開催時は関係者のみ)右側には、 柿落としのセ・パ公式戦開催記念パネルが2枚掲げられている。 長野五輪のシンボルマークを中心に、 左側は00年5月20・21日のL−BW、 右側は同年8月1日のC−Sの、 それぞれベンチメンバー等の寄せ書き。 |
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| 一方、オリンピックスタジアムは早くも、しかし着実に、長野県の野球の殿堂としてのステータスを築き上げ始めている。 スタジアムの完成・引渡しは、99年度末となる00年3月31日。 しかし、その2週間前の18日(土)、市が特例として貸出しを行った。北信越代表としてセンバツ出場を控えた長野商に「ぜひ甲子園で活躍して欲しい」と、憎いばかりの心遣い。長商は甲子園に向けての試運転として、飯田長姫と公開練習試合を行った。真新しい人工芝の感触に戸惑いながらも「綺麗な球場で気合が入ります」と選手たちも嬉しそうにしていたとか。練習試合は5−2で長野商が勝利した。 おりしも、この日は5月の西武−オリックス戦の前売発売日。チケット発売所となった、スタジアム隣りの南長野運動公園体育館にはチケットを求めて、最も早い人は前日朝から来たという人をはじめ、徹夜組100人を含む約1,300人(午前10時発売開始時点)が列をなし、行列は延べ約700mにも及んだ。体育館に用意した8,400枚の前売券は、即日ほぼソールドアウト。チケットを手にした人の中は余勢を買って、「新しいスタジアムを一目見ておこう」とばかりにスタジアムの試合も観戦。結局、練習試合にも関わらず、約1,000人が入場したそうだ。 開場式は00年4月16日(日)に華々しく行われ、新球場の誕生を祝った。 イベントでは、金田正一氏らをはじめ日本プロ野球名球会の15人が登場。子供たちに指導を行ったり、市民選抜チームとの交流試合では、村田兆治氏と長野市・塚田佐市長が対戦するなど、約1万1千人が入場したスタンドは大いに盛り上がった。 |
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![]() 00年7月15日、夏の高校野球長野県大会・開会式の模様は、 C−Sの記念パネル右隣の公衆電話横に掲げられている。 エントランスホールにはこの他、スタジアムのモックアップなども 展示されており、休場日・各種公式戦開催日以外は、 受付に申し出れば場内の見学もできる。 |
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| 開場初年度の00年はプロ・アマの公式戦が数多く開催された。 まず、プロ野球。5月20(土)、21日(日)に、スタジアムの柿落とし記念となる西武−オリックス2連戦、8月1日(火)には広島−ヤクルト(2日は松本市野球場)の2カード3試合が開催。県内では98年までプロ野球の開催がゼロだっただけに、当日は大いに盛り上がった。 以降、01年には西武−日本ハムとヤクルト−横浜の2カード3試合、02年には西武−福岡ダイエー2連戦の1カード2試合、03年には西武−大阪近鉄2連戦、横浜−ヤクルト、ヤクルト−横浜各1試合(うちYB−Sは松本市野球場でも開催)が行われた。 開場時の一時的なブームは去り、00年当時比で観客数も徐々に減少しているとはいえ、長野県民は一軍の公式戦を、地元で毎年観戦することができるという権利を手にすることができたのだ。 また長野市はこのオリンピックスタジアムの完成を機に、既にオールスターゲームの開催誘致にも名乗りを上げているが、その前哨戦的な形で、02年7月11日(木)にフレッシュオールスターが16,000人の観客を集めて開催された。 始球式は、98年の長野五輪スピードスケート女子500mで銅メダルに輝いた、岡崎朋美が務めた。試合は6回表、2−2の同点の場面で全ウ・藤本敦士(阪神)が勝ち越しソロを放ち、結局4−2で全ウが勝利。MVPは無論藤本。また、地元・松商学園高で高校時代を過ごした辻竜太郎(サーパス)も、二塁打を含む2安打を放って2打点をマーク。優秀選手賞を獲得した。 そして、遂にオールスターゲームが04年、このオリンピックスタジアムで開催されることが内定した。つい数年前まではナイターはおろか、プロ野球公式戦の開催すら非現実的だったような、これまでの施設状況を考えると、本当にまるで夢のような話。しかし、その「夢」が、いよいよ目前に迫っている。 高校野球。00年春の北信越大会はちょうど、長野県が開催地。早速メイン球場となり、天候はいまいちだったものの、多くの観客が観戦に訪れた。 しかし長野県高野連は当初、オリンピックスタジアム開場後はここを軸とした開催体制を考えていたようだが、県土が広く、県内すべての高校が人工芝に慣れることができない、怪我をしやすい、夏場は照り返しなどでフィールドが高温になるなどといった理由から、最近は春・秋の県大会の、北信地区予選の数試合だけでしか使用されないことが多い。また観客からは特に、「問題点」の項で触れたように、駐車場が少ないことと、定期バスの運行がないことなど、交通面での問題が不評を買っている。そんなことで、01年秋の北信越大会ではメイン球場から外され、松本市野球場でメインを張る日程が組まれ、その後も公式戦での使用機会はごく僅かなままになっている。 別掲で再度触れるが、長野の高校球界ではまず「人工芝アレルギー」をどう克服していくかが課題となりそうな気配である。このままでは長野の高校球児らにとって、オリスタが「宝の持ち腐れ」に成り下がりやしないか、非常に心配なところだ。 社会人野球。春の選抜社会人長野大会は、これまで老朽化した県営長野運動公園野球場で開催していたが、これもオリンピックスタジアムに開催地が移った。そして全日本クラブ選手権大会の本大会も、00年は長野での開催。これもここがメイン会場となった。 都市対抗・クラブ選手権・社会人日本選手権の、いわゆる社会人三大大会はすべてドームでの開催(都市対抗:東京ドーム、クラブ選手権:西武ドーム、社会人選手権:大阪ドーム)。そんな事情から、人工芝のフィールドに慣れる意味合いも込めて、長野県内の社会人野球公式戦のほとんどが、このオリンピックスタジアムで開催されている。 少し補足するが、その県営長野も大改修を施され、01年シーズンから両翼98m、中堅122mのアマ公認規格をクリアする野球場に生まれ変わった。オリンピックスタジアム完成以前は北信エリアのメイン球場として機能していたが、オリスタが完成し、城山球場がなくなってからは準メイン的な位置付けになった。が、上記の通り、高校球界ではオリンピックスタジアムを敬遠する傾向があることから、フィールドが内野・クレー舗装、外野・高麗芝であるこちらを、北信地区のメインとして使用している。 竣工は66年というから、新潟県内で言えば鳥屋野や新津市営、悠久山などと同世代になる。しかしながら、01年の改修工事では外野拡張の他、内野スタンドの段床の補強や防水塗装が施されるなど、筺体そのものに対する抜本的なリフォームがなされている。 これまで野球場が不備だった長野県は、まさに面目躍如。これからも、オリンピックスタジアムでは数々のドラマが生まれていくことだろう。 |