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1950(昭和25)年
巨人−大洋
 07.18(柏崎高校グラウンド)
 07.19(白山)


パーフェクター・藤本、エース・別所で2連敗
巨人“悪夢の北陸シリーズ”の序章
Ver.2.5
02/22/2002

 春から初夏にかけて、県下で熱戦を展開したパ・リーグと入れ替わるように、盛夏はセ・
リーグ各球団が続々と来県する。2リーグ分立ということで、連盟及び各球団は顔見世興行
的な意味合いで、こうして数多くの地方ゲームを行っていたようである。
 また、首都圏でプロ野球の興行ができる球場が限られていたという事情もあった。当時
学生野球の聖地(或いは“聖域”と云うべきか)であった神宮球場では、プロの興行は基本
的に許されておらず、都心でプロが使えるのは実質、後楽園球場だけという状態。後楽園
では変則ダブルヘッダーやトリプルヘッダーが数多く組まれ、またこの7月にはナイター設
備も完成。まさに自転車操業的に日程をこなしていたものの、東京を本拠とするチームが
多いためにさすがに捌き切れず、その分は地方開催に回る、という格好。現在のように、
試合日程はシーズン当初から既に決まっているものではなく、試合日の概ね1ヶ月前に組ま
れていたので、ある程度のやりくりは可能だったのだ。


 セ初の新潟公式戦は7月18・19日、読売ジャイアンツ−大洋ホエールズ(現横浜ベイスタ
ーズ)戦。この後、富山、金沢、福井と転戦する北陸シリーズの最初の2連戦として行われ
た。18日(火)は、地元で「柏高球場」の通称で親しまれていた、県立柏崎高校グラウンド
(主催:柏崎野球協会、後援:柏崎市、刈羽地方事務所、柏崎商工会議所、柏崎体育団、柏
崎野球連盟、読売新聞社)、翌19日(水)は新潟市営白山野球場(主催:読売新聞社、日本野
球連盟、後援:新潟市野球連盟、新潟市西五分団防火委員会)で開催された。
 巨人は前年5月の対中日戦以来の来県。2リーグ制になって誕生した大洋はもちろん、新
潟初見参。そして、柏崎では初めてのプロ野球公式戦となった。


●07.18 柏崎高校グラウンド
 柏高球場は、歴史から言うと1900(明治33)年11月、この年開校した柏崎高校の前身にあ
たる県立高田中学校柏崎分校が、現在地に校舎を移してからということになるから、もう
かれこれ1世紀もの歴史を持つ。校舎はそれ以来移っていない。1902年に独立して柏崎中
学校となり、その年の天長節、11月3日(今で言う天皇誕生日。現在は文化の日)に野球部
など、5つの武技部が創部した。以来、柏中の校庭は、刈羽地区隋一の運動場として機能
してきた。
 本格的な野球場として利用できるように手が加わったのは1931(昭和6)年。校庭の北西
側にスタンドやバックネットが設けられ、中学野球などが行われる際は外野部分に膝の高
さほどの木柵を立て、中堅にはスコアボードを仮設するなど、本格的に野球場として使用
できる構造になっていた。
 現在はもう、野球場として機能することはなくなったし、今や単なる高校の校庭でしか
ない。だが、土盛りのスタンドとダッグアウトは今尚健在。現存する、新潟県最古のプロ
野球公式戦開催球場である。


 6月半ばに巨人戦開催の報が伝わると、入場券は飛ぶように売れたという。主催の柏崎野
球協会が用意した会員入場券は売り切れ、町売りの入場券も売れ行きは上々で、団体入場
の申し込みだけで7月15日現在で2千名近くになったそうだ。
 柏崎で初めてのプロ野球。しかも巨人戦である。前景気は弥が上にも盛り上がった。

 試合前日の17日夕方5時過ぎ、巨人、大洋両チームと審判・記録・本部の総勢50名の一
行が柏崎駅に降り立つと、駅前にはファンが殺到し、一行はたちまち立ち往生。旅館に入
ってからも、サインを求める子供達が旅館の前で選手が出てくるのを待っていたとか。
 柏高には、前夜からの徹夜組も数多く並んだ。
先頭は、前夜から五里も田舎道を歩いてやってきた、刈羽郡南鯖石村(現柏崎市)からの15
名ほどの団体。未明の午前1時に並んだという。その後もぼつぼつと人が集まり出し、午前
3時には数百名が列をなした。もともと開場は午前8時の予定だったが、この出足の早さに
合わせて6時に繰り上げ、花火を合図に開門。この時既に、列は五重六重にも膨れ上がり、
柏崎税務署付近まで連なっていたという。
 柏崎は全市をあげての野球観戦。市内の各小中学校は全休、グラウンドを提供した柏高
をはじめとする市内のすべての高校も、2時限で授業を打ち切り。市内の企業でも臨時休業
する措置が取られ、この日ばかりは労使とも仲良くスタンドで観戦を洒落込んだという。

 炎天の夏空。中堅後方には米山の稜線がくっきりと映える、絶好の野球日和。満員に膨
れ上がった柏高球場では、前試合として朝9時50分から少年巨人軍の会発会記念として、柏
崎・高田両分会のゲームが行われた。0時半、一塁側に巨人のメンバーが、1時過ぎには三
塁側に大洋がそれぞれ入場。フィールディング練習が始まる頃には内外野は立錐の余地も
ないほどに。1時45分からは、少年巨人軍の会・上越地区発会式が行われた。その後、両軍
選手によるサインボールの投入も行われた。
 そして、試合開始を控えた午後2時。まず三井田・柏崎市長からは「幸運の鍵」が、続い
て萩野厚子さん(6)、小林節子さん(3)からは花束が、それぞれ巨人・水原、大洋・中島両
監督に贈られた。



 先攻は大洋。
 先発は、巨人はこの年6月28日に完全試合を達成した藤本、大洋は巨人キラーの今西、ま
たは高野の先発が予想されたが、この日は岡崎商出身の20歳新人、本間鉄和を立てた。
当然、戦前の予想は藤本を立てた巨人が有利とされたが、その藤本の立ち上がりが良くな
い。
 1回表、先頭の安井が右前打し、4番・藤井が安打で還して先制。2回は近藤の二塁打と二
失で1点。3回は大沢、藤井が連打した後、これを平山が適時打で還して2点を追加。しかし
藤本は4回から立ち直り、9つの三振を奪うなど好投した。
 一方、本間は粗削りながらも巨人打線をかわし、4回に川上に二塁打されたところで御役
御免、ここで高野と交替した。どうやら本間の先発は奇襲策だったと見える。その高野は
この4回のピンチを併殺で切り抜け、試合の流れを大洋へ大きく引き寄せた。
 高野は6回に小松原、川上、手塚の連打で1点を失ったものの、続く藤本を三ゴロ併殺に
仕留め、この日3つ目の併殺を完成させた。後半も低めのシュートが決まって、すいすいと
投げ切った。
 かたや打線もダメを押す。7回、安井の二塁打と、遊撃・山川のダブルエラーでもう1点
を追加。これで勝負あった。

 チャンスで好打を集め、内野陣の攻守が光った大洋と、先発投手の立ち上がりの悪さと
拙攻拙守が仇となった巨人。初戦は大洋が勝利。



11回戦 (巨人 7勝4敗)
柏崎高校グラウンド 12,000人
--:--開始 -時間-分(中断-分)
1 1 2 0 0 0 1 0 0 5
0 0 0 0 0 0 1 0 0 1
(勝) 高野
(敗) 藤本

大 洋   巨 人
(4) 安 井 4 2 0 (9) 萩 原 4 1 0
(5) 宮 崎 5 0 0 (7) 小松原 4 1 0
(3) 大 沢 4 1 0 (8) 青 田 3 0 0
(9) 藤 井 4 2 1 (3) 川 上 4 2 0
(7) 平 山 4 1 2 (5) 手 塚 3 2 1
(2) 門 前 4 1 0 (1) 藤 本 4 1 0
(8) 近 藤 4 3 0 (2) 藤 原 3 0 0
(1) 本 間 2 0 0 H 別 所 1 0 0
1 高 野 2 0 0 (4) 内 藤 3 0 0
(6) 荒 木 4 0 0 (6) 山 川 2 0 0


37 10 3 31 7 1
振9 球1 犠- 併- 残- 振2 球3 犠- 併- 残-

大 洋   巨 人
本 間 藤 本
高 野

(審判)--

(二塁打)近藤、手塚、藤井、川上、藤本、安井
(盗塁)--
(失策)巨3、洋0


●07.19 白山
 翌19日は新潟での試合。両チーム一行は、その日のうちに柏崎から鉄路新潟入りした。

 こぼれ話をひとつ。
 読売新聞社新潟支局では6月下旬、この2連戦開催を記念して「ホームラン懸賞」と銘打
って、セ・リーグ第18節(7/9まで)終了時までの両チームのホームラン数を読者に予想し
てもらう企画を行った。正解者20名には、この19日の白山球場の試合の内野入場券を進呈
するというもの。この懸賞は人気を博し、新潟支局は対応にてんてこ舞いだったとか。
 因みに正解は巨人が69本、大洋が66本。応募者の中には残念ながら、両方とも的中した
人はいなかったため、どちらか一方が的中した13名には、10日付で入場券が郵送された。
 その懸賞に見事当選し、入場券を勝ち取った中頸城郡板倉村(現板倉町)のある青年。と
ころがこの青年氏、数日前に体調を崩し、残念ながら新潟へ行くことができなくなってし
まった。譲り先に困った彼は、この入場券を新潟支局へ返送。17日にこれを受け取った支
局では「孤児を招待してはどうか」と、県児童課に優秀な戦災孤児の調査を依頼した上で
選定したところ、新潟市内の中学1年生、川上くんが選ばれた。入場券を手にした川上くん
は巨人ファン。また同姓の川上も好きとあって、喜びと感謝の念を表していた。
 今となっては、こんな優しい発想はなかなか出ないもの。かつては大らかで、思いやり
のある時代がここ日本にもあったのだと、改めて実感している。この時チケットをもらっ
た川上さんは、今もご健在だろうか。優しい心を持った人であってほしいと、そっと願う。

 尚、読売新聞社では、7月12日から新潟市古町の小林百貨店(現新潟三越)で「セ・リー
グ巡回写真展」を開催。これは県下数ヶ所でも開催された。


 当日は午前11時頃から通り雨がぱらついたために出足は多少鈍ったものの、試合開始前
にはスタンドはぎっしり。両チームの入場を待って、午後2時15分、ネット前で少年ジャイ
アンツの会新潟県支部の発会式が行われた。400名近い少年ファンを前に巨人・水原監督は
「よく遊び、よく勉強して下さい」と激励。続いてミス新潟・斎藤麗子さんらが両監督に
花束を贈呈。前日KOされた藤本は愛用のライカを取り出し、この模様をパチリ。少しは気分
転換になっただろうか。



 午後3時試合開始。
 巨人はエース・別所、大洋は久々の先発となる片山の、両ベテランが先発。
 1回、大洋は先頭の安井が安打と三盗で進んだチャンスをものにして先制。その裏、巨人
は萩原、小松原、手塚の3安打で2点をもぎ取って逆転。3回は藤原、手塚がともに二塁打を
放って1点を追加した。
 しかし5回、大洋は、連続安打と四球で満塁となったチャンスに、宮崎が左翼を破ってラ
ンナーを一掃。再逆転に成功する。だがその裏、巨人は別所と寺本の安打で1点を挙げて、
同点に追い付く。
 巨人は先発・片山、5回から登板の林を攻めてはいる。8回まで毎回安打でランナーを出
してはいる。しかし、ここというところで代打が出せず、決定機を欠いた。
 両軍決め手のないまま、新潟でのプロ公式戦初の延長戦へもつれ込んだ。試合が決まっ
たのは12回表。一死後、宮崎が安打で出塁。これを森が三塁線を破る適時二塁打で還し、
遂に1点を勝ち越し。更に、平山の二ゴロを、寺本がショート寄りに大きく弾くエラーを犯
し、これがダメを押した。

 大洋は延長戦を制し、北陸シリーズ2連勝。
両エースを立てたにも関わらず、新潟での対大洋2連戦を落としてしまった巨人はこの後、
対中日3連戦(広島−国鉄も同日程で帯同)に臨む。
 が、21日、福井では杉下にいいようにひねられて0−9と惨敗。翌22日、金沢・兼六園
球場では打ち負けて3−7と、まるでいいところがない。最終日の23日(富山県営球場)こ
そ3−0で勝ったものの、結局、この北陸シリーズは1勝4敗と大きく負け越し。独走する
松竹、2位・中日を追う首位戦線から大きく遠ざかってしまった。



12回戦 (巨人 7勝5敗)
新潟市営白山野球場 -人
--:--開始 -時間-分(中断-分)
1 0 0 0 3 0 0 0 0 0 0 2 6
2 0 1 0 1 0 0 0 0 0 0 0 4
(延長12回)

(勝)
(敗) 別所

大 洋   巨 人
(4) 安 井 5 1 0 (9) 萩 原 6 3 0
(5) 宮 崎 5 2 3 (7) 小松原 6 3 0
(3) 大 沢 5 1 0 (8) 青 田 6 1 1
R 長 富 0 0 0 (3) 川 上 5 1 0
3 1 1 1 (5) 手 塚 6 2 1
(9) 藤 井 5 1 1 (1) 別 所 4 1 0
(7) 平 山 6 1 0 H 藤 本 1 0 0
(2) 門 前 2 0 0 (2) 藤 原 3 1 1
2 清 家 4 0 0 (4) 寺 本 5 1 1
(8) 近 藤 1 0 0 (6) 内 藤 5 1 0
8 長 持 4 1 0
(1) 片 山 2 1 0
1 3 1 0
(6) 荒 木 4 1 0


47 11 5 47 14 4
振7 球3 犠- 併- 残- 振5 球4 犠- 併- 残-

大 洋   巨 人
片 山 別 所

(審判)--

(二塁打)小松原、手塚、藤原、萩原、森、宮崎
(盗塁)--
(失策)洋2、巨3






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(1950)
07.10 O−F(栃鉄悠久山)
<--> (1950)
08.12 T−P、G−S(栃鉄悠久山)


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