Home-->熱戦譜/インデックス-->





1952(昭和27)年
毎日−東急
08.23(新発田)


小雨の中、2年ぶりのプロ野球に沸く新発田市民
深見のアーチ、樽井の好投で東急が快勝
 1952(昭和27)年、3カード目は2年ぶりのパ・リーグ公式戦がやってきた。
毎日オリオンズ−東急フライヤーズ。新発田市営球場で8月23日(土)、新発田市の主催、
毎日新聞社の後援で開催された。

 新発田市営球場というと、この2年前の柿落としでは国鉄−西日本、巨人−阪神のダブ
ルヘッダーがやってきて、大いに盛り上がった。しかし、その後市民はほとんどプロ野球
と接する機会がないことから、7月25日の臨時市議会で、8月26日に毎日と東急の両チーム
を招き、公式戦を開催することを決定した。新発田に2年ぶり、この年唯一のプロ野球公
式戦がやってくる。市民には、この夏最高の贈り物となった。尚、その後連盟・球団など
との間で日程の調整が付き、開催日は23日に変更。秋田市営八橋野球場とでの2連戦とい
う形で日程が編成された。
 さて、新発田でのプロ野球も2年ぶりなら、パ・リーグ公式戦の来県も50年7月10日、
栃鉄悠久山野球場で行われて以来、2年ぶりのこと。この時の顔合わせも、毎日−東急だ
った。


 パ・リーグ後半戦、毎日は22節を終えて2位。首位・南海を2.5ゲーム差で付けていた。
前節、近鉄と大映を相手に5連勝で、6ゲームあった差を一気に縮めにかかった。終盤戦に
向けて、一気に面白くなってきた頃だ。オールスターを前後して、チーム全体が打撃不振
に陥っていたのを脱して、三宅・別当・土井垣の主軸にも当たりが戻り、またルーキー・
山内和弘が二軍から抜擢を受けて6月28日の対近鉄戦に初出場。それ以来、5番に定着して
豪快なバッティングセンスを見せていた。日系選手の「ディック」こと北村正司も、軽快
なフィールディングでファンを魅了していた。
 一方、東急は首位から14.5ゲーム差で5位。次いで阪急が1ゲーム差で6位。その阪急か
ら実に17ゲーム差で、最下位は近鉄。中位グループにこそあれ、チーム力はかなりのも
の。両リーグを通じてトップの22ホーマーを放っている深見安博をはじめ、斎藤宏、そし
て常見昇と、打撃陣も好調。桑名、樽井を中心とした投手陣も調子は上向きで、上位戦線
をかき回さんとしていた。


平 和 台 事 件
 ところで、この頃の毎日を巡っては、どうしても外せない事件がある。プロ野球にまつ
わる種々の事件史にも“日本プロ野球史上最悪の遅延行為”として必ず登場する、いわゆ
る「平和台事件」である。

 この年の7月16日、福岡・平和台球場で行われた、西鉄−毎日12回戦。試合は雨がそぼ
降る中、午後4時55分に始まった。当時の平和台はスタンドも土盛りで、ナイター設備も
まだない。それでも日没が7時半頃ということなら、迅速に試合を進めて何とか消化しよ
うと、毎日が試合強行を反対する中、プレイボールが掛かった。しかし1回を終わって雨
が激しくなり、2回表に1度目、約15分の中断、さらに3回が終わった頃にまた雨が強くな
って、2度目の中断。これはグラウンド整備のため、1時間程かかった。ところが、試合
再開をコールしようとした球審・浜崎に大して、毎日・湯浅監督が「もっと念入りに整
備をしろ!お前らは、こんな田んぼみたいなところで試合をしろというのか!!」と強硬
に主張。更に20分掛けて整備を続け、6時45分にやっと再開したものの、日没まで徐々に
時間がなくなってきた。

 4回表、毎日は3点を取って5−4とビハインドを縮めた。
 ところがこの辺りから、毎日の選手が遅延行為を繰り返し始めた。その裏の西鉄の攻
撃、先発の和田が、先頭打者に初球を投じた直後に、捕手・土井垣がタイムを掛けてマ
ウンドへ。何を確認するでもないのに、延々と何事か喋って試合再開。ところがここで、
今度は内野手がタイムを掛けて、ダッグアウトへ水を飲みに戻り、再開した途端にまた
タイムをかけ、今度は目にゴミが入ったから洗いに行きたいと言い出す…。
 こうして、明らかに不必要なタイムを取ったり、スパイクを結び直したり、何度もベ
ンチへ水を飲みに行ったり…。挙げ句には平凡なフライをわざと落球したりと、むやみ
やたらに無茶苦茶な引き伸ばし工作をするオリオンズナイン。挙げ句、何でもない平凡
な投飛をさばいた和田が、土井垣に「バカ野郎!」と恫喝される始末。
 日没まで粘り倒して、ノーゲームに持ち込もうという魂胆。目に余るばかりの悪質な
遅延行為だった。西鉄はこの間に加点を重ね、9−4とリードを広げていった。
 そして、いよいよ薄暗くなり始めた5回表、毎日の攻撃。ところが選手は全員ベンチに
下がったままで、打席に向かおうとしない。湯浅監督は執拗に「おい、アンパイア!今日
はもうノーゲームにしろ!こんな暗くて、試合ができるか!!」と食い下がる。観客から
「早くせんか!」と野次と怒号が飛び交う中、審判団も湯浅監督の余りの強硬姿勢の前に
折れる格好で渋々、午後7時20分、ノーゲームを宣告した−。

 血気盛んな博多のファンが怒りを爆発させたのが、その次の瞬間のことだった。観客達
は次々とグラウンドに飛び降りて、毎日のベンチに襲い掛かった。「謝らんか、こら!」
「汚い試合をしよって!」と選手をぶん殴り、監督に掴み掛かり、審判を蹴り上げる。フ
ァンの殴打を受けた塁審・長谷川が、余りの強烈なパンチにたじろいで、思わず「俺達じ
ゃない!悪いのは毎日だ!」と三塁側ベンチを指差すや否や、ファンは一斉に毎日へと矛
先を集中させた。中にはまともに拳を食らって、血を流す選手も。あまりの騒ぎに西鉄の
選手が止めに入るにも、人だかりは収拾の着かぬ程に膨れ上がってゆく。グラウンドに下
りたファンの数は、推定で2千人とも言われている。
 遂に通報を受けた福岡市警から、トラック4台に分乗して出動した武装警官300名が駆り
出され、選手たちは警官のガードを受けながら、罵声が飛び交うその中を、ジープで球場
から引き上げたという。
 選手たちとはぐれ、ただ一人取り残された湯浅監督は放送室に逃げ込み、場内アナウン
スで謝罪を試みるが「…一部の十年選手が、不心得なことを…」と、選手に責任を擦り付
けるようなことを口走ってしまったばかりに、ファンはかえって激高。その後、湯浅監督
も護衛を受けて、命からがら球場を脱出したが、ファンの怒りの手は、遂に毎日の宿舎に
までも及び、その数実に約200人が周辺を包囲して選手らを待ち構えていた。球団幹部は
とっくに逃走して、宿舎にはいない。やむなく毎日の選手の一部は市警の武道場に保護さ
れ、一夜を過ごすことになってしまった。

 8月4日付でパ・リーグは処分を発表。毎日球団には5万円、遅延行為を指示した湯浅監
督には1万円、その遅延行為に対して適切な警告措置を取らなかった主審・浜崎に5千円の
罰金を、それぞれ課すというものだった。

 しかし、九州のファンの怒りは、これでは収まらなかった。
 この平和台事件直後から、九州北部各地の西鉄ファンなどを中心に、毎日新聞の不買運
動を実施しようとする動きが相次いで勃発。この噂を耳にし、恐れをなした九州支社から
連絡を受けた毎日新聞社本社は7月27日、遂に球団首脳陣の処分を緊急決定した。
 結局、この事件の原因をつくった湯浅禎夫は引責し、監督退陣を余儀なくされた。しか
しながら、本社からの名目上の辞令は「湯浅総監督に米国視察を命ず」とされ、アメリカ
野球の視察旅行を言い訳にする形で、体よく日本から追い出した格好になった。尚、湯浅
の肩書きが“総監督”とあるが、実はこの年から毎日の監督は若林忠志に代わっていた。
が、この監督とは単なる名義のみで若林に指揮権は全くなく、前年に引き続き湯浅が現場
の全権を握っていた。ともあれ、その湯浅は更迭である。
 そして湯浅に代わって、キャプテンを務めていた別当薫が兼任監督に就任。人選の理由
としては、別当はチームきってのスターであり、人当たりも良いということで、急遽白羽
の矢が立てられた。ファンの受けを狙ってのものである。また、別当に代わって西本幸雄
が主将に、土井垣、呉、本堂は兼任コーチにそれぞれ就任。名義だけの“監督”若林は、
二軍監督に降格させられた。

 因みに、今回の対東急戦開催を報じる8月9日付毎日新聞新潟版では、この人事を「湯浅
総監督が渡米のため」とだけしていた。事情を詳しく知らない地方のファンには、件の出
来事について、表向きには内密にしたかったのだろうか。
 ともあれその後、別当が監督に就いてからは、毎日は息を吹き返し、チームワークも確
固たるものになっていったようである。



 話を新発田に戻そう。

 東急の外野手・浅原直人はプロ入り前、ノンプロの熊谷組に在籍していた時に、この
新発田市営球場に2度来ており、柵越えホームランを打ったこともある。そんなわけで、
新発田の野球ファンには馴染みのあるプレイヤーのひとりである。

 また、新発田の少年ファンには嬉しいニュースもあった。
 当日の試合前に、毎日・大館勲夫内野手による野球教室が、市内3つの中学生を対象に
行われることになったのだ。コーチ役を快諾した大館は「若い選手諸君に会えるのを楽
しみにしています。新発田地方にもきっと優秀な選手になれる素質の少年が沢山いるこ
とと思うから、一人でも多くの参加者があるようのぞんでいます」とコメントを寄せた。
 ここでまた平和台事件の話に戻るが、事の後、宿舎に戻った選手の中に大館がいた。
控えの一塁手だが、ハワイ出身で93kgの巨漢。しかも柔道八段で、かつて師範を務めた
こともある大館は、宿舎に殴り込みをかけようとやってきたファンらの前に立ちはだか
った。そして、深々と頭を垂れて謝罪したという。彼らも「大館がそこまで謝ってくれ
るのなら」と、それ以上は手を出さなかったそうだ。


 当日の新発田は、前夜から雨に降られた。しかし、午前9時の開場の頃には雨も止み、
市営球場には続々と観客が詰めかけた。但し雨の影響で、当日のプログラムが予定より
若干繰り下がって進められた。
 そしてグラウンドでは10時半から、大館による野球教室が始まった。市内の中学校か
ら40数名の少年選手が参加。大館は主にバッティングの技術について、1時間余りコーチ
した。はやる少年たちに対して、大館は「決して大選手の真似をしてはいけない。基礎
練習をしっかりやるように」と諭した。少年選手たちは目を輝かせながら、大いに張り
切って指導を受けた。
 両軍練習の後、午後1時50分入場式を行い、近・新発田市長が歓迎の辞を述べた。続い
て別当・井野川両監督に花束の贈呈、サインボールの投げ入れ、次いで投手:近市長、
捕手:姉崎・市野球連盟会長、打者:杉山・市議会議長による始球式が行われ、午後2時
3分プレイボール。東急が先攻。


 先発は毎日・野村武史、東急・樽井清一。
 試合中、小雨が降り出したが、約5千人の観客は傘もささずに熱心に観戦し続けた。
 2回、東急が鮮やかに先制。カーブの決まらない野村武から、浅原、常見が連打。エン
ドランも決まってチャンスが広がったところで、斎藤がきっちりと右犠飛を打ち上げて
1点を得た。
 かたや毎日は初回・河内、2回・別当と先頭打者を出すも、いずれも併殺でチャンスを
広げられなかった。
 これまですこぶる好調で、いつ爆発するかと期待された毎日の打線は、この日は樽井
の軟投の前に静まり返った。外角低めに決まる変化球と、時々織り交ぜる内角のシュー
トの前に、為す術なく凡打の山を築いてゆく。
 雨は試合中盤にはすっかり上がった。5回から毎日は、調子の上がらない野村武から、
山根俊英にスイッチした。速球の山根は要所をきっちり抑えてしのいでいたが、最終回、
ホームランダービートップを行く深見に、左翼席へ24号2ランを叩き込まれ、これで勝負
が決まった。
 結局、樽井は毎日打線を別当のテキサスリーガーと土井垣の内野安打の、被安打僅か
2本に抑えて、見事完封勝利を収めた。

 試合終了後、球場では抽選付き野球うちわの抽選会が行われ、当選者には特等・ミシ
ンなどの賞品が贈られた。



 さて、平和台事件には後日談がある。そしてそれが最終的には、昭和27年シーズンの
チームの命運をも道連れにすることにまでなってしまうのだ。
 しばらく平和台での試合がなかった毎日。9月7日の対西鉄戦ダブルのため、約2ヶ月
ぶりに平和台に遠征することになった。ところが、遠征が近づくに連れ「博多のファン
が毎日を襲撃する」「もしライオンズに連勝でもしようものなら、ただでは帰さないら
しい」という、不穏な噂が飛び込んできた。この物騒なムードの中、毎日は球団代表・
黒崎真治郎らのアイディアで“低姿勢戦法”を取ることになった。明らかに棄てゲーム
というような二線級オーダーで臨む、いわばはっきり言ってしまえば“片八百長”であ
る。無論賛否あれど、チームに危害が及ぶとあってはやむを得ないことだったのだろう。
 結局この策が効いて(?)、毎日は西鉄とのダブルに連敗。遂には別当までマウンドに上
がるという旺盛なサービスで、博多のファンのご機嫌を直すことに見事成功した。
 しかし、毎日オリオンズはこの2連敗が後々響き、遂に首位・南海に1ゲーム差で及ば
ず、2年ぶりのペナントを逃すことになってしまうのだ。



13回戦 (毎日 7勝6敗)
新発田市営球場 5,000人
14:03開始 -時間-分
1 0 0 0 0 0 0 0 2 3
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0
(勝) 樽井
(敗) 野村武
(HR) 深見24号(2、山根)

東 急   毎 日
(4) 浜 田 2 0 0 (5) 河 内 2 0 0
H 原 田 1 0 0 H 野村輝 1 0 0
4 皆 川 1 0 0 (7) 山 内 1 0 0
(8) 野 村 4 1 0 7 2 0 0
(9) 深 見 4 1 2 (9) 伊 藤 3 0 0
(3) 浅 原 4 1 0 (8) 別 当 3 1 0
(7) 常 見 4 1 0 (3) 三 宅 3 0 0
(6) 長 沢 4 1 0 (2) 土井垣 3 1 0
(5) 斎 藤 3 0 1 (4) 本 堂 3 0 0
(2) 鈴 木 3 1 0 (6) 北 村 3 0 0
(1) 樽 井 3 0 0 (1) 野村武 1 0 0
1 山 根 1 0 0
H 西 本 1 0 0


33 6 3 27 2 0
振5 球0 犠- 併- 残- 振1 球1 犠- 併- 残-

東 急   毎 日
樽 井 9 28 2 1 1 0 野村武
山 根

(審判)-


(盗塁)-
(失策)東0、毎1






<--Navigation-->
(1952)
07.20 S−R(白山.ダブル)
<--> (1952)interlude
新潟県出身のプロ野球選手たち


-->熱戦譜/インデックス-->Home