Home-->熱戦譜/インデックス-->




1966(昭和41)年
05.03 サンケイ−広島(鳥屋野)

10年ぶりのプロ野球に、1万5千人が酔う
元メジャー「黒い稲妻」ルー・ジャクソンに熱狂
 昭和30年代に入ると、プロ野球界ではフランチャイズ制が確立。各球団は主催ゲームを本拠地
以外で行うことが少なくなり、新潟県も例に漏れず、公式戦は1956(昭和31)年9月25日の毎日−
大映(共に現千葉ロッテ)・ダブルヘッダーを最後に行われていない。
 この間、1960(昭和35)年4月2〜3日に、新発田市営球場と新潟市営白山野球場で東映(現日本ハ
ム)−近鉄が行われているが、これはオープン戦。因みにこの日、既にセ・リーグは開幕戦。
一週間遅れで開幕するパ・リーグの2球団による試合であった。



 そして、時は昭和40年代へ。
 1965(昭和40)年4月6日付・新潟日報朝刊のスポーツ面には、こんな記事が載った。
 (中略)ことしから西京極球場と小倉球場(現北九州市民球場)
にナイター設備が完成したので京都と北九州でもナイターが見
られる。西京極では阪急(現オリックス)と阪神がホームチーム
になり、両リーグ合計15試合ていどの興行、小倉は西鉄(現西
武)がホームチームで35試合の予定だが、大洋(現横浜)も3試合
ていど興行するかもしれない。
 この両球場でのオープニング・ゲームは西京極が4月15日の
阪急−東映、小倉は4月24日の西鉄−阪急だ。

 このほか、ことしは東映がそのほとんどのホームゲームを後
楽園で、国鉄(この年5月からサンケイ、現ヤクルト)が神宮で
興行するのが目立っている。これらの本拠地球場での興行のほ
かにことしは地方興行が多少ふえた。北海道では5月中旬に東京
(現千葉ロッテ)−西鉄、6月に巨人−大洋、7月に東映−西鉄が
みられるし、北陸地区では4月に中日−阪神、5月に巨人−広島
がみられる。
 さらに国鉄がそのホームゲームを北関東、東北地区で数試合
興行することを予定しているし、大洋も恒例の下関シリーズを
計画している。この傾向はプロ野球興行の基本とされているフ
ランチャイズ制が乱れはじめたことも意味するが、不況下で客
集めするために背にハラはかえられぬといったところだ。
 本拠地以外の球場でもプロ野球が、そしてナイトゲームが楽しめるようになった、その元年が
この昭和40年である。
 オリンピック後の不況に沈んだ日本経済。米メジャーでは過去の例から「不況の年は野球人気
が高まる」と言われていたが、どうもここ日本では余り当てはまらないようで、楽観は許されな
い状況であった。
 オープン戦の観客動員数は、前年の1964(昭和39)年が1試合平均6,700人だったのに対し、こ
の年は6,200人と、僅かではあるが下降線を辿りつつあった。球団ごとの平均で見ると、最高は
巨人の12,000人。それに対するワーストは東京で、何とたったの500人。パ・リーグは斜陽期に
差し掛かり、球団間の格差が広がりつつあった。
 このため、球界ではこれまでの慣習を改め、いくつもの規制を撤廃・緩和した。トレードの活
発化しかり、新人選手の出場制限の撤廃しかり。本拠地でのナイトゲームもこの年、大幅に増や
された。そしてこういった中で全国のファンが喜んだのが、地方試合開催数の増加であった。

 しかし残念ながらこの年、新潟での公式戦は組まれなかった。
昭和38年に完成した新潟市営鳥屋野野球場が、前年の新潟国体直後に襲った新潟地震の影響で、
スタンドの一部が崩落したり、グラウンドが損傷するなど被害を受け、4月末まで改修工事を行
っている最中(芝生養生のため、完全復旧は5月末)だったことも、少なからず影響していたと思
われる。



 本編に入る。

 翌1966(昭和41)年5月3日(火・祝)に、遂に新潟県内では実に10年ぶりの公式戦が組まれた。
セ・リーグ公式戦、サンケイアトムズ対広島カープである。
 この年、新潟市郊外の小針遊園地と古町7の大和新潟店を会場に「新潟防衛博」が7月9日から
8月25日まで開かれることになっていた。新潟地震復興を記念して、サンケイ新聞社、新潟復興
委員会が主催、防衛庁が協力、県、市などが後援して行われた博覧会で、プロ野球はこの防衛博
開催記念の協賛イベントだった。
 このカードは2連戦。翌4日は移動日で、5日には秋田市営八橋野球場で開催された。


 ここまで第4節を終わってのセ・リーグの順位はというと、首位が11勝6敗の中日。次いで10勝
7敗の広島、10勝8敗の巨人が3位、そしてサンケイはこの時点で4位で10勝9敗。以下、阪神が借
金4、最下位・大洋は、7連敗が響いて借金7。
 万年Bクラスと謳われたスワローズ、カープの両チームは、好調な滑り出しで5月を迎えた。



 10年ぶりのプロ野球。前景気は大いに盛り上がり、しかも両チームともセ・リーグ序盤のトッ
プグループでの競り合いとあってか、前売券は早々に売り切れた。
 まず広島が、日本国内航空(現日本エアシステム)のチャーター機で空路新潟入り(この“飛行
機”というのが、10年の時の流れを感じるところ)。前節の対大洋戦を4勝1敗とぼろ勝ち越し。
4連勝して、最後に1つ負けただけだった。
 だがその1敗が、他ならぬ大記録を喫した試合なのだ。5月1日の6回戦(広島、ダブル第2試合)
で、大洋の先発・佐々木吉郎が、広島を相手に完全試合を達成したのである。大洋・三原監督が
偵察起用した投手に、ずるずる打ち取られてのパーフェクト献上だった。
 ともあれ、カープナインが降り立った新潟空港では、到着口からバスまでの通路が通れないほ
ど。山本一、興津、古葉らも、この歓迎ぶりには思わず顔をほころばせた。選手たちの乗り込ん
だバスは、新潟市紫竹山のホテル湖畔に向かった。
 サンケイは前夜、対巨人戦を終えて、朝に上野を発った。
まず午後3時45分着「鳥海」で第1陣の16人、続いて6時27分着の「第3佐渡」で23人が、相次い
で新潟駅に到着した。駅で待ち構えていた子供達は、ジャクソンや徳武、矢ノ浦らに目掛けて殺
到し、サインをせがんだり、身体に触ったりと大はしゃぎ。選手らは各々タクシー等で新潟市長
潟、とやの観光ホテルに向かった。


 この年、サンケイに加わった新戦力は、球界の注目を一心に集めていた。
 ルー・ジャクソン(Louis Clarence Jackson)。1935年7月26日生、米ルイジアナ州リバート
ン出身。カブス、オリオールズ(3Aロチェスターなど)を経て、元大リーガーの肩書きを引っ提げ
て、この年サンケイに入団した。右投左打。174cm、80kgと、外人選手としては小柄な方だが、
シャープな打撃と俊足には定評があった。
 試合当日の新潟日報夕刊には、この日朝、宿舎でインタビューを受けるジャクソンの模様が掲
載された。ジャクソンはホテル備え付けの丹前を着て、朝食の目玉焼きを食べながら、チームメ
イトと談笑していた。
 日本での生活にはひと月くらいで慣れたそうで、シルビア夫人と長女のグロリアちゃん(当時
2歳)も来日し、もうすっかり落ち付いたようだ。子煩悩らしく、子供の話になると楽しそうだ。
Q)日本のプロ野球の印象は?
 投手のコントロールがいいね。変化球も多いし。またバッ
ターも、それに対応する方法を研究している。
 観衆が静かなのもいいね。アメリカでは野次が多くて、
「カーン」という打球の音なんか聞こえやしない。だから、
守っている時に判断を誤ることもあるんだ。その点、日本は
守りやすいね。

Q)公式戦が始まって1ヶ月。印象に残る選手は?
 打者では、文句なしに王貞治(巨人)だ。本当に素晴らしい
バッターだと思う。投手では村山実(阪神)だね。開幕戦で対
戦したけど、スピードもあるし、コントロールもいい。

Q)来日時に3割・30本を公約したが、自信は?
 僕は、夏になるとコンディションが良くなってくるんだ。
今季は好調なスタートができたので、3割は打てると思う。
盗塁はサインで走ることが多いから、何とも言えない。

Q)サンケイアトムズの印象は?
 去年最下位だったなんて、信じられないよ。投手陣はいい
し、バッティングもいい。今年は上位に食い込んでくるんじ
ゃないかな。

Q)日本の風物で、好きなものは?
 列車移動が大好き。窓からの眺めが素晴らしいので楽しめ
るよ。新幹線は速いし、乗り心地もいいね。実は、飛行機は
苦手なんだ。できれば乗りたくないね。
 日本語も、単語を30くらい覚えたんだけど、チームメイト
が変な言葉を教えるんだ。「スケベ」とかさ(笑)。
 ジャクソンは1日現在で、打率.312で9位、4HR、打点10、盗塁5と、走攻守三拍子揃ったいか
した男。アトムズの野手ではダントツのトップの数字をマークしていた。
 さて、ジャクソンが目玉焼きをつついているちょうどその頃、そこからやや離れて対岸にある
鳥屋野球場では雨模様の中、既に多くのファンが開門を待っていた。そのほとんどの人のお目当
てはというと「ジャクソンが見たい」。彼は新潟のファンの人気をひとり占めした格好だった。



 その鳥屋野球場、プロ野球公式戦はこれが初めて。
2日夜から降り出した雨がやっと上がった午前9時頃には、既に約500人が球場で列をつくってい
た。
 徹夜組もいた。一番乗りは新潟市柳島町の漁業関係者4人組。午前4時頃にコンクリートに座り
込み、ウイスキーをちびちび飲りながら、朝が来るのを待っていたという。ところが、これより
も早く訪れた先客がいた。市内の中学生3人組が、夜中の午前1時頃、真っ暗闇の中を球場にやっ
てきたというのだ。さすがにこれは係員らに注意されて帰されたが、10年ぶりのプロ野球、待ち
焦がれた“新潟もん”の熱意には恐れ入る。
 開場予定の午前10時頃には、三島郡三島町から貸切バスでやってきたファンなど、約2千人が
球場前に列をなした。新潟東警察署では、この周辺の整理に署員40人が出動。続々と訪れる観客
の、人と車との波に汗を流していた。

 しかし雨に降られたせいで、フィールドはてんてこ舞い。
 グラウンド整備は朝9時から始まった。スタンド入口のゲートに「グラウンド整備のため 開
門が遅れます」の張り紙が貼られ、待ちかねた人からは「早く、早く!」と急かす声が上がった。
しかし係員に「選手が怪我をしては困りますから…」と諭されると、渋々引き下がったという。
雨を心配して、球場や各関係先などには、朝からファンの問い合わせの電話が引切り無しに鳴り
続けたという。
 そのグラウンドでは、必死の地ならしが続いていた。水溜りができた部分の土を撤去して、新
しい土と砂を入れるが、左翼側の搬入口から内野まで、数台の一輪車で往復すること数知れず、
その砂の量は、実にトラック2台分にも及んだ。作業がやっと終わったのは、両チーム選手が練習
中の午後1時。整備に携わった40人の係員はぐったり。顔にはねた泥を拭いつつ「良いコンディシ
ョンでやってもらいたい。途中で雨が降らないように」と、祈るように空を見上げていた。
 しかし、サンケイ・徳永喜男営業部長は冷やかで「こちらはともかく、広島の方から試合がし
にくいと言われないように努力した。しかしこの球場自体、沼地を埋め立てたところにつくった
上、水捌けが良くない。グラウンドが粘土質ということもある。決して良いコンディションでは
ありません」とおかんむり、新球場の設備の悪さを指摘していた。

 たまらないのが、このグラウンド整備のせいで待ちぼうけを食った両チーム選手。サンケイは
11時頃バスで球場入りしたが、グラウンドに入れないため、球場前の駐車場で足止めを食った。
これを目ざとく見付けた子供達が群がり、たちまちサイン攻め。特にジャクソンの座っている窓
際には、子供達が窓によじ登るなど、鈴なりの人垣が出来た。
 練習時間も短縮された。通常、公式戦の練習時間は両チーム50分ずつだが、グラウンド整備が
遅れた影響で、15分ずつ短縮。正午ごろ、まずサンケイ、続いて広島が相次いで練習開始。短時
間でコンディションを整えようと、両チームともフリー打撃に時間を費やしたが、両チームのク
リーンアップ、ジャクソン・徳武・矢ノ浦、大和田・山本一・藤井らは伸びのある打球を次々放
ち、時折場外へも飛ばしていた。

 この日は、新潟防衛博事務局が招待した、市内の母子寮の親子60人が、一塁側スタンドで観戦
を楽しんだ。試合前にはサンケイ飯田監督から「鉄腕アトムのように、強く育って下さい」と激
励の言葉と、選手のサインボールが贈られた。
 さて、ダッグアウト上では応援合戦。一塁側スタンドには鉄腕アトムが登場。また東京から掛
け付けた応援団が、アトムズの赤いジャンパーを来て応援旗を振れば、かたや三塁側には、何故
かオバQ3人組(マツダの地元ディーラーの社員らとのこと)が登場し、笛を吹いて踊り上がりな
がらの応援を繰り広げた。
 右翼から左翼へ約10mの強風が吹き、気温も13度と、5月にしては寒い一日となった、この日の
新潟。試合開始はグラウンド整備のため、予定の13時30分から1時間繰り下げられた。

 試合に先立って、サンケイ・友田信球団社長が挨拶。飯田監督と広島・長谷川監督に、新潟県
サンケイ会から花束の贈呈。そして渡辺浩太郎・新潟市長がマウンドからドロップを投じる頃に
は、雲間から青空が顔を見せ始めた。


 先発はサンケイ・巽、広島・鵜狩。強風に乗じて、序盤は活発な打ち合い。
 2回、広島は山本一、藤井の連打から一死二、三塁とし、漆畑が中堅に犠飛を打ち上げて、まず
1点を先取。サンケイは3回、敵失と矢ノ浦の左前打で一、二塁とし、ここでジャクソンが逆風を
突いてライトオーバーに適時二塁打。2点を入れて逆転に成功した。
 広島は4回、二死一塁から、寺岡が左翼へ詰まり気味のフライを放つ。ところが、これが強風に
乗ってぐんぐん伸び、2号2ラン。運も味方し、再び逆転に成功した。しかしサンケイはその裏、
この回から救援の竜を攻め、安打の高山が一死後三進し、岡本の適時打で同点。尚も丸山が安打、
東条が四球を選んで二死満塁とするも、ここで矢ノ浦が三振してしまい、再逆転のチャンスを逃
してしまった。
 直後の4回、サンケイの2番手・森滝から、大和田が二塁打、二死となって、興津が左翼へ高々
と打ち上げた。そしてこれまた強風に乗って、4号2ラン。
 サンケイはその後も竜を攻めたてて、再三チャンスは作るものの、肝心なところで竜に低めを
突かれ、決定打が出ず。最後まで食い下がったものの、最終回先頭の丸山が、左翼に2号ソロを叩
き込んで1点差に詰め寄ったものの、及ばなかった。


 さて、雨上がりで、しかも強風が吹き付けるという寒空のこの日、売店に並んだ商品の売れ行
きはというと、ジュースなどの冷たい飲み物や、アイスクリームもかなり出たそうで、空中戦に
興奮したファンが多かったと見受けられる。。
 子供達のお目当ては、やはりジャクソン。打席に入ると、スタンドからは万雷の拍手が起こり、
声援が飛んだ。試合終了後、ホテルへ帰るバスに乗り込んでからも、窓越しにサインや握手を求
めるファンでごった返し、バスが発車できなくなるほどだった。


 両チーム選手らは、そのまま新潟に連泊。
 翌4日は、どちらも空路で秋田へ移動。広島が日本国内航空のチャーター機で新潟を後にし、続
いてサンケイも夕方の定期便で秋田に向かった。
 空港では、ファンに握手攻め、サイン攻めを受けたサンケイの各選手。飛行機嫌いのジャクソン
は「曇ってるね…。飛行機は大丈夫かなぁ…」と心配そう。しかしチームメイトは「ジェット機
よりプロペラ機の方が安全だよ」と、笑ってなだめていた。


 10年ぶりのプロ野球、サンケイ−広島戦。空模様とグラウンド状態とを気にしながらのゲーム
で、ちょっと興がそげる部分もあった。とはいえ、久々に新潟で行われたプロ野球は大いに盛り
上がった。興行的にも見通しがつきそうで、翌年以降の公式戦開催も期待されていた。
 がしかし、鳥屋野球場の劣悪なグラウンド状態がそのムードに水を差した格好になってしまっ
たのか、残念ながら新潟県民は、再びおあずけを食うことになってしまう。公式戦が再び新潟に
やって来るのはこの3年後。1969(昭和44)年5月15日、巨人−広島(鳥屋野)まで待たねばならなか
ったのだ。


 因みに、この年サンケイが泊まった「とやの観光ホテル」、実は現在も、建物はそのまま使わ
れている。ホテル自体はこの後、「鳥屋野苑」と改称し、敷地を拡張して庭園を造成するなど隆
盛を極めたが、この数年後、親会社の倒産で廃業の憂き目に遭う。
 その後、鳥屋野苑の敷地のほとんどは宅地化され、ホテルの建物には病院と、人工温泉を備え
た浴場施設が入ったが、90年代に入ると、これまた経営上のトラブルで廃業。
 現在は市内の専門学校が、福祉工学関連の学校施設として使用しているが、今度はどうなるの
であろうか。
 一方、広島が泊まった「湖畔」は、今もつつがなく営業を続けていて、現在も県アマ球界では
審判員の宿舎などとして使われている。



4回戦 (2勝2敗)
新潟市営鳥屋野野球場 15,000人
14:30開始 2時間36分
0 1 0 2 2 0 0 0 0 5
0 0 2 1 0 0 0 0 1 4
(勝) 竜 3勝1敗
(敗) 森滝 2敗
(HR) 寺岡2号(2,巽) 興津4号(2,森滝) 丸山2号(竜)

広 島   サンケイ
(8) 大和田 5 1 0 (7) 丸 山 5 2 1
(4) 古 葉 4 0 0 (4) 東 条 2 0 0
(5)3 興 津 3 1 2 H 麻 生 1 0 0
(7) 山本一 4 1 0 4 岡 嶋 1 0 0
(3) 藤 井 3 1 0 (6) 矢ノ浦 4 1 0
5 阿 南 1 1 0 (8) ジャクソン 5 1 2
(9) 西 川 0 0 0 (5) 徳 武 4 2 0
9 寺 岡 4 1 2 (9) 高 山 4 2 0
9 横 溝 0 0 0 (3) 中 島 4 1 0
(6) 漆 畑 2 1 1 (2) 岡 本 3 1 1
(2) 久 保 2 0 0 (1) 1 0 0
1 2 1 0 H 西 岡 1 0 0
(1) 鵜 狩 1 0 0 1 森 滝 0 0 0
2 田 中 3 2 0 H 小 淵 1 1 0
1 鈴 木 0 0 0
H 島 野 1 0 0
1 緒 方 0 0 0


34 10 5 37 11 4
振3 球2 犠1 併2 残5 振4 球3 犠0 併0 残9

広 島   サンケイ
鵜 狩 3 4 1 1 0 4 4 0 1 3
6 7 3 2 1 森 滝 2 4 1 1 2
鈴 木 2 1 2 0 0
緒 方 1 1 0 0 0

(審判)PL丸山、1B平光、2B国友、3B内藤、LL岡田、RL富沢

(二塁打)ジャクソン、大和田
(失策)広2(興津、寺岡)産1(ジャクソン)







-->熱戦譜/インデックス-->HOME