Home-->熱戦譜/インデックス-->
| 1993(平成5)年 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
近鉄−オリックス 06.12(悠久山) 06.13(鳥屋野) 鈴木一朗、野茂からプロ初アーチ 猛牛は打線爆発7連勝、かたや青波ドロ沼6連敗 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| Ver.2.5 10/05/2002 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 1991(平成3)年から始まった、近鉄の新潟シリーズ。 3年目となった1993年(平成5)は、オリックスを帯同しての2連戦となった。6月12日(土)は長岡市悠久山野球場、翌13日(日)は新潟市営鳥屋野野球場と、開催地は例年通り。主催は新潟日報社だった。 パ・リーグ第10節・6月10日の試合終了時点での順位は、近鉄・オリックスとも5割ラインを行ったり来たりというところ。3位の近鉄は22勝21敗1分で.512。オリックスは1ゲーム差で4位に付け、21勝22敗1分で.488。尚、首位は西武、2位が4.5差で日本ハム、2位から3位が3差。4位から5位・ロッテが4差。最下位ダイエーは2.5差。西武が独走し、それに日本ハムが追いすがるという展開。日本ハム・大沢啓二監督の「職業野球なんだからよ、プロがバントなんてするもんじゃねえわな」という言葉を、ふと思い出した(笑)。最下位のダイエーは、西武から移籍した根本陸夫監督が指揮を執っていた。本拠地はこの年から福岡ドームに移転した。 近鉄は試合2日前の10日に新潟入り。夕方の新幹線2便に分乗して来港した。先発隊には鈴木啓示監督らコーチ陣・選手らの姿が。この年ドラフト1位で入団したルーキー・小池秀郎も新潟へ先乗りした。ここまで5連勝と好調なチーム状況もあって、近鉄ナインの面々は軽い足取りで、新潟駅の西側自由通路を経由して、万代口正面の新潟東急インに向かっていった。 鈴木監督は「新潟は上山善紀オーナーの郷里(西蒲原郡分水町出身)。顔を汚さないためにも頑張りますよ」と、オーナーも帰京して観戦する“御前シリーズ”に意欲満々。また、1戦目の長岡での先発について「ローテーションからいって、野茂もあり得る」と表明。連勝で手にした5割ラインをキープすべく、地方遠征にあっても盤石の体制を敷く腹づもりだ。 一方、オリックスは試合前日となる翌11日に新潟入り。西武戦(西武)を戦って、中1日で新潟シリーズに臨む。前日10日は延長11回、星野が中尾に代打2ランを浴びてのサヨナラ負け。しかも、これで4連敗で借金1。そんなイヤな気分をすっきりさせたいオリックスナインは午後の新幹線で新潟に入り、早速鳥屋野球場で練習。ストレッチの後、野手はフリー打撃、投手はブルペンなどで調整。藤井康雄、石嶺和彦、トーベの主砲陣は、外野スタンドへ、時折場外へと打球を打ち込んでいった。投手陣は先発ローテ入りしている長谷川滋利、酒井勉と、一軍に復帰したばかりの西本聖が、各々キャッチボールなど軽めの調整を行った。 土井正三監督は、この投手陣の様子を見ていた報道陣に明日の先発を聞かれると「明日、試合前になりゃわかるよ」と煙に巻いた。因みにオリックスの宿舎はホテルイタリア軒。尚この日、近鉄もオリックスに先立ち、鳥屋野で調整を行った。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 06.12 悠久山 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 12日は両チームとも朝、バスで宿舎から出発し、北陸道を経由して長岡入りした。 この日の長岡は絶好の快晴。92年の近鉄・新潟シリーズ(対ダイエー)は2試合とも雨天中止となったため、新潟県では2年ぶりのプロ野球公式戦。悠久山球場の切符売場には朝から当日券を求めるファンが並び、約1万2千人の観客がスタンドを埋めた。 始球式は、高校野球親善試合のため来日していた米テキサス州・フォートワース市選抜チームのキャプテン、ケビン・ソナンスタインくんが務めた。 先発は、近鉄が予想通りの野茂英雄、オリックスは例の3人の中から西本を立ててきた。西本は4月18日の対日本ハム戦(東京ドーム)以来、56日ぶりの一軍登板だ。 その復活を期す西本が2回、レイノルズに先制9号2ランを浴びた。4・6回にはエラーも絡んで3点を許してしまった。結局、西本は3つの失策を記録した守備陣に足を引っ張られる不運もあり、6回を100球、被安打8で5失点(自責点3)。復帰試合を飾ることができなかった。しかし西本は「久し振りだったのに、チームに迷惑をかけてしまった。6回二死からの失点(3連打と左翼・タイゲイニーの失策)は悔いが残るね」としながらも「でも前回とは手応えが全然違うよ」と、うなだれつつも至って前向き。というのも、前回最後に一軍で登板した4月の試合は、4回途中で4失点KO。その時よりは状態も投球内容も数段良くなっているとあって、納得した様子だった。 一方の野茂は、とにかく最高の内容。特にここ1ヶ月では一番の出来だった。まず1回は3個、2・3回は1個、そして4回は三者三振で、4イニングで8つの三振を奪った。直球で押し、フォークで振らせる、お得意のパターンが決まった。野茂が三振を奪うたびに、悠久山の小さなスタンドを埋め尽くした観客は、地鳴りのような歓声を上げた。 中盤も快投は光る。5回は三振がなく、ここで毎回奪三振は途切れ、またこの回は無死一・三塁のピンチを招く。しかし、鈴木を三邪飛、福良を二飛、藤井を左飛に斬って取り、きっちり切り抜けた。更に三振は6・7回も1個ずつを奪った。7回までで三振は2ケタに乗り、被安打5、四球1で無失点。もともと制球の良くない野茂だけに、ほぼ完璧な内容だった。実は野茂、4月に右手中指の爪を傷めた影響もあり、5月19日の対日本ハム戦(藤井寺)以来、白星に見離されている。また、先発したここ3試合はいずれも勝ち星に恵まれていない。しかし、この日は中盤まで絶好調。久々の白星、久々の完封勝利が、確かに見えてきた。 ところが8回、その野茂が突如乱れる。前半から飛ばしすぎたため、後半に来て疲れが出始めたのだ。また、傷めた爪の状態が良くなかったことも影響していたようだ。まず、先頭の鈴木には初球を叩かれて1号ソロを浴び、一死からは四球の藤井を置いて石嶺に右翼へ11号2ランを運ばれた。結局、この回もう1個三振を奪ったところで降板。三振ショーは8イニング11奪三振で終幕となり、完封も完投もお預けとなった。 最終回は赤堀が8連続セーブで締めくくって、5−3で近鉄が逃げ切った。 野茂は24日ぶりの白星にほっとした表情。アイシングを受けながら、インタビューを受ける声も明るい。「いつも以上に気を引き締めていきました。球に指がよく掛かって、自分のペースで投げられた」と満足そう。「最近は(味方打線が)よく打って援護してくれているのに抑えきれず、勝ちゲームを落とすことが多かったですからね。申し訳なく思っていましたから…」とこれまでの不本意な内容を払拭するような白星は、何よりの良薬だったようである。 赤堀元之も「野茂さんのリリーフは久し振り。爪の状態もあるから“行くかもしれない”と言われていた。調子は良くなかったですけど、抑えられてよかったです」と一安心。 打線でも、石井浩郎が連続打数安打を7打数まで伸ばした。1打席目は左前打、2打席目は中前打で、先制と中押しのホームを踏んだ。が、3打席目以降は凡退し、記録への挑戦はストップした。試合後、石井は「誤魔化しヒットばっかりですからね」と、それほど頓着はなかったようで、照れながら苦笑い。 そんな明るいベンチの中、鈴木監督の野茂に対する注文は厳しい。「5点あったらスッと行ってくれんと…。すっきりせんなぁ…。次もあるし、無理はさせなかった。これで一本立ちしてくれることを祈るだけだよ」。上位戦線に挑む身としてもあくまでストイックで「一進一退ではいかん。まだひとつ勝ったくらいで喜べる状態やない」。 一方、これで5連敗となったオリックス。土井監督は、復帰登板で好投しながらも足を引っ張られた西本について「4月とは違ってたし、5失点するような内容じゃなかった。もう一度チャンスはあるだろうね」とし、あくまで好意的に評価した。 さて、今やスーパースターとなったひとりの男が、ここ長岡市悠久山野球場でプロ初のアーチを架けた。8回先頭で、右翼へ1号ソロを放った鈴木一朗、のちのイチローである。 野茂の初球、内角高めに抜けたボール気味のストレートを叩き、少し詰まり気味で約105mと飛距離こそなかったが、ぎりぎりでスタンドイン。ホームランボールは、右中間最前列でグラブを構えていた男性の手に、すっぽりと納まった。一軍通算122打席目、記念すべきプロ初アーチ。しかも打った相手は野茂。嬉しくないはずがない。「点差が点差でしたから、初ホームランといっても今ひとつ…。でも、野茂さんから打てたのは、本当に嬉しいですね」と声を弾ませた。 因みに一朗、この頃はまだ、振り子打法は開発前。このプロ通算27本目の安打となったホームランも、振り子打法によるものではない。しかも、詰まって入ったのだから、打撃としてはほとんどミスショット。両翼90m、中堅120mの、悠久山の狭いフィールドと、約1.8mと低い外野フェンスが、記念すべき一打をアシストした感もある。 それもあってか、大ブレイクを果たした翌94年オフ、とある雑誌でこの初本塁打について訊かれたイチローは「球場が狭かったので入りました」と淡々と語っている。嬉しかったはずのプロ1号。その感動が薄れてしまった要因には、球場が狭かったことだけではなく、当時の彼を取り巻いていた、数々のファクターが存在しているようだ。これについては、鳥屋野の試合結果の後で触れることにしよう。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
8回戦 (近鉄 5勝2敗1分) 長岡市悠久山野球場 12,000人 13:30開始 2時間43分
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 06.13 鳥屋野 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 翌13日は鳥屋野で開催。 空は曇り、時折雨もパラ付く中、試合はほぼ時間通りの13時1分に始まった。 先発は近鉄・山崎慎太郎、オリックス・長谷川。また、近鉄はここまで22打席無安打の大石を今季初めてスタメンから外し、二塁には大島を起用した。「ケガ以外でスタメンを落ちたのは一度か二度くらいしかない」とは大石。鈴木監督は、連勝中のチームの勢いを更に加勢しようと、敢えて積極起用を企てたのだ。 しかし、先制したのはオリックス。3回、四球の中島を勝呂が送り、福良が中前打を放ってまず1点。オリックスはこれが実に40イニングぶりのタイムリーである。その福良を置いて、藤井が右翼席中段に飛び込む13号2ランをかっ飛ばした。一挙に3点を加えて、オリックスもそろそろ連敗を脱出したいところ。 だがその裏近鉄は一死満塁から、ブライアントの一塁への内野安打で1点をもぎ取って追撃。4回、オリックスは二死二・三塁から勝呂の右前打で1点を追加して山崎をKO。その裏、近鉄も二死一・二塁から、大島が右前適時打で1点。とはいえ、点差は4−2とまだ2点差。近鉄はビハインドを背負ったまま中盤戦を迎えた。 それが5回、近鉄が御家芸の“いてまえ打線”を大爆発させ、シナリオは一気に書き換えられる。一死から、ブライアントが二塁打、石井が右前打でまず1点。これで長谷川はKO、オリックスは左腕の金田政彦を送る。しかし連打は続く。レイノルズが左前打、鈴木が同じく左前打で1点で遂に同点。この4連打で一気に加勢しつつも、しかし安達が手堅く送って二死二・三塁。結局、金田も敢え無くKOされ、三番手として川畑がマウンドへ。 ここで迎えた古久保が、後に“ビックリ箱”と揶揄される大仕事を果たす。代わりっ端の、甘く入ってきたスライダーを引っ叩き、左翼席中段へと運び上げ、これが2号勝ち越し3ランだ。前日までの打率は.162。“守備の人”が意外性の一発。今回の遠征中には今季第1号も放っており、調子も上向いていたとはいえ、本人もこの一撃には「ホームランバッターじゃない僕が、この遠征で2本ですからね…。ビックリしてます。チームのムードのおかげでしょう」と、思わず照れ笑いだ。更に、四球で歩いた吉田剛が二盗を決め、これを大島が中前打で還して もう1点を加え、結局、5回の近鉄は打者11人を送って一挙6点を奪う大逆転。ビッグイニングを見事なまでに演出し、ゲームの主導権を奪い取った。 前日に続き、ネット裏で観戦していた上山オーナーも、この猛攻にはご満悦だったようで、この回でほぼ勝利は間違いないと見て、球場を後にした。「次の対西武、日本ハムの6連戦がヤマ場。勝負はこれからやね」と、笑顔で語った。このまま進めば、このシーズンの御前試合は8連勝。熱パ加勢への手応えを確かにしたようだ。 結局、6回にも古久保の右犠飛でもう1点を追加した近鉄は、2番手の江坂の好投もあって反撃を許さず、ラスト2回は佐野が締めくくって、9−4とオリックスを圧倒した。 近鉄は4日からの対ダイエー3連戦、8・9日の対ロッテ2連戦に続いて、3カード連続全勝で7連勝を飾り、2位・日本ハムとのゲーム差を2とした。大石の代役で1番を務めた大島が、今季3度目の先発起用に応えて2安打2打点と結果を残し、好投してゲームを立て直した江坂も3勝目をマークし「ストレートが良かった。野手の皆さんと、佐野さんのおかげですよ」と、ほっとした表情を見せた。 7連勝で一気に波に乗り、いよいよ対西武3連戦に臨む鈴木監督も意気が上がる。実はここまでの近鉄、対西武戦は1勝7敗、また日本ハムに対しても2勝7敗1分と、上位2チームにいいようにカモにされている。「お膳立てはできた。かなり貸してたから、その分を取り立てなあかんな。ウチは、細かい野球を目指しても勝てん。ウチの持ち味は5点取って勝つことや。ありったけの力をぶつけて、打って打ち勝つだけ。イケイケやな」と、この日の猛打爆発で自信は更に深まったようで、上位との連戦に挑む意気込みを見せた。 逆にオリックスはまるで元気なく6連敗。土井監督も、先発の長谷川の乱調、そしてそれを食い止められなかったリリーフに対してもおかんむり。「長谷川が悪過ぎたよ。これまでのアイツの状態なら、4点あればスイスイいけると思ったんだけど…」と、半ばお手上げ状態。その長谷川も、今季最短の4回1/3でのKOはこたえた様子で「何も言うことないです…」と、終始無言。姫路から始まり、西武、そして新潟と1週間続いた遠征では1つの白星もないまま神戸に戻ることとなり、宿舎へ戻るバスに向かうナインの足取りも、心なしか重苦しかった。 ●絶対やってはいけません● さて、この新潟シリーズ、実は事件が起こっている。 初日の悠久山で、オリックスの選手のグラブ2個が紛失したのだ。 盗難の疑念が持たれたが、翌日、事態は急展開した。鳥屋野の試合終了直前の午後4時過ぎ、一塁側ロッカールームに置いてあった近鉄・近藤章仁打撃投手のグラブ(4万円相当)を、何者かが持ち去ろうとしたのである。幸い、逃げようとしたところを係員に発見され、新潟東署員に引き渡された。この新潟市在住の24歳の無職の男性は、窃盗の疑いで逮捕された。 プロ選手のバットやグラブ等は、本人にとっては大切な商売道具。メシの種でもある。それを球場内に忍び込んで盗み取るとは言語道断。絶対にやってはいけないことだ。この男性も恐らく、現在は社会に復帰しているはず。一社会人として、また一野球ファンとして立派に更正していてくれることを、強く祈念したい。 また、主催者側としても警備体制の甘さを露呈した格好。地方球場はそういった面は大らかとはいえ、ひょっとしたら起こり得るであろう、不測の事態に対する認識が欠如していたともいえよう。選手・コーチ・スタッフに、もし万が一のことがあったらどうするのだろうか。その辺のことをしっかりしなければ、新潟は中央球界からそっぽを向かれっぱなしにすらなりかねない。 ●イチローの初本塁打は、苦難の1ページ● そして、この事はきっちり触れておきたい。悠久山でプロ初本塁打をマークした、鈴木一朗である。 結局、この新潟2連戦は2試合とも先発し、下記のような打撃成績を残した。悠久山ではフル出場したが、鳥屋野では4回、左の江坂が登板したこともあり、早々に代打を送られてベンチに下げられてしまった。 悠久山>右 安 捕邪飛 三邪飛 右HR=1 三ゴロ 鳥屋野>二ゴロ 遊ゴロ これで、ここまでの一軍での打率は僅か.115となった。しかもあの記念すべき一発が、当時の彼にとってはむしろ仇となってしまったのだ。 ルーキーイヤーの前年は、ウエスタンリーグでいきなり.366をマークして首位打者を獲得するなど(高卒新人のウ・首位打者は32年ぶり)、ミドルヒッターとしてチーム内でも評価が高かった一朗。だが、たまに一軍に上がっても、なかなか結果が残せなかった。 元々、一朗のフォームは全身を使ってしなやかに振り抜くスタイル。大きくタイミングを取り、しっかり球を見極めて、速いスイングで打ち返す。当時の机上論とは大きくかけ離れたフォームだが、その打撃技術は折り紙付き。しかし、たまに一軍に昇格しては土井監督以下、首脳陣にことごとくそのフォームを酷評され、「内角高めが打てないから、フォームを変えろ」とあれこれいじられて形を崩されたり、或いは「打ち方が悪い」と愚痴を垂れられては二軍に落とされ…の繰り返し。 この時も、やはりそう。両翼が僅か90mしかない、狭い悠久山で“詰まって入った、ラッキーな”プロ初の一発に対して「ミドルヒッターのくせに、バットを大振りしている。こんな振り回すような打撃は期待していない」と、余りに理不尽な判断を下されたのだ。単純なミスショット。それも、普通の球場なら右飛になるところを、狭い地方球場だったがために、たまたま本塁打になっただけの話だ。しかし、当時の首脳陣は“一発狙いの打撃をした”と突っぱね、しかも“無意味なフルスイング”と、理不尽な屁理屈で叩っ斬ってしまったのだ。門出のプロ1号だというのに、首脳陣は一朗を醒め切った眼で見ていたのだ。それが証拠に、この本塁打を打ってダッグアウトで出迎え、一朗のタッチを受けた米田哲也投手コーチは、一朗とは全く目線を合わせようとせず、すっかり湿気切った表情をしていた(その直後、最後にタッチしたタイゲイニーがニコニコしながら、一朗をフィンガーアクションで祝福していたのが、せめてもの救いか)。 そして案の定、このホームランはかえって、この年の一朗にとっては裏目となった。7月に入ると「本塁打を打って以来、大振りが目立つようになった」として二軍に降格。彼自身も“何とか結果を残そう”という必死さが先走って、それが空回りしていたのかもしれない。一朗は通告を受けた後、ロッカーで嗚咽を漏らしたという。その夜、二軍の広島遠征に合流した一朗は、母校の愛工大名電高の恩師・中村豪監督に電話を入れた。相談を持ち掛けようと考えたのだろうか。しかし、次第に悔しさがこみ上げてきたのか、涙が止まらなくなった。中村監督は「今が試練の時」と諭し、保子夫人は「二軍なら、中日戦でナゴヤ球場でも試合があるし、応援に行けるじゃない」と慰めたという。 こうして、この年は二軍と一軍とのエレベーターを、開幕から数えて3度も繰り返すことを余儀なくされた一朗。だが、二軍では好成績。48試合で.371、HR8。4〜8月にかけて、ウエスタンリーグ記録となる30試合連続安打を達成したものの、3度のエレベーターで首位打者は逃した。3度目の二軍落ちをしたシーズン半ばからは一軍昇格を固辞して、しなやかなバッティングに更に磨きをかけるべく、河村健一郎・二軍打撃コーチと二人三脚で、いわゆる“振り子打法”の完成を目指した。シーズン終盤までフォーム固めに集中し、秋はシーズン終了を待たずにハワイのウインターリーグに参戦。打率2位となる.311(164打数51安打)というハイアベレージを叩き出して、日本人選手(オリックスの他、日本ハム、福岡ダイエーから計13名が参加)でただ一人、ベストナインに選出された。 一朗がハワイで活躍していたその頃、オリックスの人事が動き、監督が代わった。土井正三に代わり、後任としてやってきたのは、近鉄監督時代、就任一年目の88年にあの「10.19」を演出し、翌89年には見事悲願のリーグ優勝に導いた、仰木彬、その人である。 その手腕はかつての名将・三原脩の流れを汲む“仰木マジック”と謳われ、また自他共に認めるパ・リーグの、そしてプロ野球の“広報部長”としても知られ、数々のアイディアと共に多くの名選手を輩出したとあって、チーム再建に賭けるオリックスは多大なる期待を寄せていた。 そして、翌94年春季キャンプの期間中に、仰木監督は早速、彼ならではのアイディアを提案した。一朗と、同じく土井体制下で持て余されてくすぶっていた佐藤和弘の登録名を、それぞれ変更したのである。「パンチ」と「イチロー」。パンチは既にメディアでも名が売れていたので大きく取り上げられたが、イチローについては“ファームで首位打者を取ったことがある”という程度の認知度でしかなく、発表当時はそれ程大きな扱いではなかった。ところが…。 その後は言わずもがな。レギュラーに定着した94年にはいきなり、日本プロ野球史上初のシーズン200安打(210本)を放ち、初の首位打者(.385)に。シーズン中から球界は一大フィーバーに沸きパ・リーグMVPにも輝いた。95年は阪神・淡路大震災に傷ついた神戸の街を勇気付けるリーグ優勝に貢献、首位打者(.342)の他、打点王(80打点)と盗塁王(49個)も獲得。96年は悲願の日本一。 以後、山田久志(阪急・76〜78年)以来となる3年連続リーグMVP(94〜96年)、そして前人未到の7年連続首位打者という金字塔を打ち立てた。こうしてイチローは日本を代表するスーパースターのひとりとなり、そして遂に01年からはその活躍の場をメジャーに移すにまで登り詰めてしまった。 記念すべき初アーチを、淡々と「球場が狭いから入った」と語ったイチローの脳裏にはきっと、エレベーター生活を強いられていた頃の、必死且つ苦々しい己の姿が映っていたのかもしれない。 因みに、パンチはこの年限りで引退したが、この登録名がその後芸能界に転じる彼の人生を方向付けるきっかけになったことは、言うまでもない。念のため、付け足しておく(笑)。 土井正三と仰木彬…。その指導者としての手腕や技量に関しての比較や評論は、過去これまで数々のエッセーや野球関係の書籍、講演、そして4コママンガからミニコミ誌、飲み屋のウダ話、果ては野球好きの小学生の会話に至るまで、既に方々で語り尽くされていることなので、ここで私がどうこう言うまでもないでしょう。なので、書きません(笑)。 ただ、ここで断っておくが、土井らが執った指導方法は何もかも総てが間違っていたわけではない。セオリー通りのスタイルを構築させるというのも、指導法としてひとつの選択肢である、とだけは云っておいた方がいいだろう。個性を活かすか、定説を貫くか…。この辺の判断は、難しいことかもしれないが。 話を戻すが、それにしても面白いのは、この年の新潟シリーズに出場した選手の中に、後にメジャーリーガーとなった者が4人もいたということ。野茂英雄、長谷川滋利、野村貴仁、そしてプロ初アーチを架けたイチロー。更に言えば、出場してはいないが、近鉄には吉井理人もいた。この2連戦を観戦した、延べ2万5千人の新潟の野球ファンは、何と幸運な瞬間に立ち会えたことだろう。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
9回戦 (近鉄 6勝2敗1分) 新潟市営鳥屋野野球場 13,000人 13:01開始 3時間21分
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
<Special Thanks!>スーダラ電鉄
※敬称略