第1章

雨と設備が、ゲームセットを奪い去った



新球場の柿落としゲーム
 時は1987(昭和62)年5月23日。
舞台となったのは、柏崎市営佐藤池野球場である。


 この佐藤池球場は、前年11月に竣工したばかりの新球場。
 総工費11億円(当時)を費やして、北陸自動車道・柏崎インター、JR信越線・茨目駅の
どちらからも近く利便性の高い、柏崎市佐藤池新田に造られた、1万5千人収容の野球場
である。東京電力・柏崎刈羽原子力発電所のお膝元ということで、建設費の多くは、原
発立地交付金で賄われたといわれている。

 この「原発のまち」という背景が、実はこの騒動の舞台の伏線になっている。


待ちに待ったプロ野球
 記念すべき新球場のオープニングゲームとなったのは、プロ野球パ・リーグ公式戦、
南海ホークス−ロッテオリオンズ。この日の試合がシーズン第7回戦だった。
 南海は、ダイエーに譲渡される翌1988(昭和63)年まで、長岡と新潟で年1回、主催ゲー
ムを開催していたが、佐藤池球場の柿落としに合わせ、そのうち長岡での開催分を柏崎
に振り替えたものであった。


 実は、ここ柏崎市でプロ野球の一軍公式戦の試合が開催されるのは、1950(昭和25)年
7月18日に県立柏崎高校グラウンドで行われた巨人−大洋戦以来、37年ぶりのこと。
プロ野球の2リーグ分立元年であり、巨人では川上・青田が活躍していた頃のことである
から、いかに昔のことか解る。そもそも、野球場のない地方都市では、このように学校
のグラウンドなどでもプロの試合を行っていたような時代である。それだけでも充分に
時代が窺い知れる。


 さて、この佐藤池球場は上記の通り、この試合の前の年に竣工した。しかし柏崎市は、
この久々のプロ野球開催に合わせ、この年春の高校野球の県大会ではこの球場を使用せ
ず、開場をこの日まで遅らせてきたのである。誰もが待ちに待った柿落としだったのだ。


ところが、当日は雨模様…
 しかし、この日の新潟県中越地方は前夜から雨。
新潟では午前9時から正午までの降水量が25.5mmという大降りであった。この降り様では
試合開催はいくら何でも無理である。強行すれば、選手が故障する恐れもあるし、観客も
土砂降りの中で身体を濡らしながらの観戦になってしまう。
 だが、柏崎市と主催の新潟日報社では何とか執念で強行開催しようと雨の中、着々と準
備を進めていった。何せ、37年ぶりのプロ野球である。市としては何としても開催した
い。既に内野席の前売券6,400枚を売りきっているだけに、主催者の日報としても観客の
心情を(というよりはむしろ、中止になった場合の自社の損害を)考えると頭が痛いはず。
何が何でも試合は開催したい。

 市では、原発対策として市内各地に設置している防災有線放送を使ってまで「試合は予
定通り開催します」と宣伝し、球場前では日報の折込み用地域紙「柏崎かわらばん」の臨
時号を配布するなど、主催者サイドは試合開催を信じて、準備を進めていった。


そして試合は強行され…早速醜態が…
 幸い、午後になって雨は小降りになり、試合は開催される方向で進められた。

 しかし完成当時、県内では最も水捌けがいいといわれていたフィールドも、午前までの
雨で水浸し。土砂降りの名残りでクレー部は沼地の一歩手前といった有り様だった。
体育課と野球部員を中心とする柏崎市の職員総勢57人は、バケツとスポンジを手に吸水を
行い、砂をドドッと入れて、グラウンドを整えた。



 南海の新潟シリーズで恒例になっていたのが、漫画家・水島新司氏による始球式。
“投手”水島氏が、ビジターの先頭打者に真剣勝負を挑むという、当時としては珍しい趣
向だった。この日はパ6球団のデザインを織り交ぜた派手なユニフォームで現れた氏。ロ
ッテのスタメン1番・佐藤健一を3球で左飛に打ち取ってガッツポーズを決め、スタンドか
ら大喝采を浴びた。



 こうして球審・新屋晃のコールで、試合は始まった。
時は午後2時32分。予定より32分遅れてのプレイボールであった。

 しかし試合前、スコアボード棟内では大変な騒ぎになっていた。
プロ野球の一軍ベンチ入り選手は25名。ベンチ外のメンバー3人を加えると各28名、両軍
合わせて56名である。ところが、この日は30人分のボードしか用意されておらず、しかも
南海はハモンドが、夫人が産気づいたため、出産に立ち会うため前日緊急帰阪しており、
当日は偵察要員扱い。ロッテの方もリーが不帯同、水谷は偵察要員…ときたから、さあ大
変。既に用意してあるのは看板屋に依頼して作ったもので、これからもう新たに造ること
はできない。水島先生が投げていた時には、オーダー表示の数ヶ所が歯抜けになったまま
になっていた。
 結局、スコアボードに20名のスタメンが全員揃ったのは1回表途中のこと。しかも、足
りない分は白いテープで代用してしのいだという体たらく。高沢、森田、湯上谷らは、こ
の「テープ貼り」で済まされた。


いきなりにわか雨に襲われ、長時間中断
 てんてこ舞いながらも、こうして何とか試合は始まった。


 ところが、今度は止んだはずの雨が、再びグラウンドを襲う。
2回表のロッテの攻撃が終了した午後3時11分、激しい雨のため、試合が中断された。
土砂降りは10分続き、内野クレー部はまた元の沼地寸前の状態に戻ってしまった。選手
のコンディションや豪雨の中で待たされている観客のことを考えると、もうこれ以上試
合を強行するのは、通常なら絶対に考えられないことだ。
 しかし、主催者である市と日報サイドは「何とか5回まで」と猛烈に粘り、これに審
判団が折れた格好で、結局は試合が続行されることになり、グラウンドの再整備作業に
入った。
 作業は先程と同じ。スポンジで吸水し、砂を入れて念入りに均してゆく。こうして、
球場内に用意していた砂4トンを、試合前と中断時の二度の再整備で、すべて使い果たし
てしまった。
 黙々と進められる整備作業を、“間違いなくノーゲームになるはずだ”と思っていた
両チームの選手達は驚きの余り唖然とし、ただただポカーンと見ていたという。


こぼれ話
 グラウンドの整備が終わり、試合が再開されたのが午後4時15分。中断は1時間4分に
亘った。1時間以上試合が中断したのは1975年8月20日の南海−近鉄(大阪)以来、12年ぶ
りのことであった。


=柿落としアーチ=
 1回表一死、水上が左越えに場外ソロ本塁打(投手・西川)。
 ホームランボールは、柏崎市内在住の当時37歳の会社員が拾った。「駐車場に車を置
いて歩いていたらボールが飛んできた。遅れてきたのが幸いしました」と嬉しそうに話
していた。


=山崎夏生、凱旋ジャッジ=
 この試合で三塁塁審を務めたのは、上越市出身の山崎夏生審判。当時31歳、審判6年
生であった。
 高田高、北大を通じて野球をやり、一時日刊スポーツの営業にいたが、野球が好きで
たまらず、審判試験を受けたという。
 郷里・新潟県内での試合は前年8月、妙高でのイースタンに次いで2度目、一軍公式戦
ではこの試合が初凱旋となった。故郷の新球場に「立派な球場ですね」と嬉しそう。
早くチーフアンパイアをやりたいと漏らしていたそうです。


そして、その瞬間が訪れた
 5回を終わって試合は成立し、主催者側はほっと一安心。この日の観客数は1万2千人を
記録した。しかしホクホク顔の主催者サイドをよそに、可哀想なことに、ほとんどのお
客さんは雨の中も帰らずにじっと我慢し、ずっと試合再開を待っていたという。
 しかし、試合が再開されたのが4時過ぎ。日本海側なので、日没は比較的遅いのだが、
如何せん空はどんよりと曇っている。日が傾くにつれ、次第に柏崎の上空は薄暗さを醸し
始めた。と同時に、イヤな空気が球場に流れ始めた。
 というのも、ここ佐藤池球場には照明設備が付いていないのだ。原発のお膝元で、しか
もそれを財源としてつくった球場なのに、である。次第に球場内には「このままじゃ日没
コールドになるのではないか」「いや、パのルールからいくと、サスペンデッドになるは
ずだ」と、スタンドの観客や本部席に詰めている取材陣の間には不穏な雰囲気が漂い始め
た。いずれにせよ、このままでは恐らく、9回まで試合を進めることができなくなるので
はなかろうか…。薄暗さを増してゆく空が、いっそう不安を募らせる。



 そして8回表、時刻は5時半を回って、スコアは4−4の同点。
先頭の横田真之が、ワンポイント登板の左腕・中条の前に二ゴロに倒れた後、南海・杉浦
監督は投手交代を告げた。そして、マウンドに向かったのは井上祐二。しかし、ここで審
判団は井上の投球練習をやめさせ、協議を始めた。
 この日の日没は午後6時20分。晴れていれば試合続行は十分可能だが、空には分厚い雲
が覆い被さっている。既に薄暗く、これ以上試合を続けるのは危険だ。


 そして新屋球審は「もうボールが見えない」と、午後5時44分、8回表一死を以って、日
没のため試合続行不能としてサスペンデッドゲーム(一時停止)を宣告した。
 尚、この7回戦の続行分は、7月7日に平和台球場で行われる予定の南海−ロッテの試合
前、この試合を停止された場面から再開されることになった。
 サスペンデッドゲームは、パ・リーグでは8度目で、昭和41年6月7日の東映−東京(後
楽園)が、照明設備が故障して翌8日に7回表から再開されて以来、21年ぶりのこと。日没
によるのは、昭和39年3月22日の阪急−西鉄(西宮)以来、6度目のことであった。
 因みに、プロ野球初開催の球場でのサスペンデッドゲームは、これが史上初。


戦い済まずに日が暮れて…!?
 こうして波乱含みのまま幕を閉じた、佐藤池球場でのゲームだったが、舞台裏では表情
も三者三様。「こんなの初めてだよ」と首を傾げながらバスに乗り込む選手達、珍結末と
なった試合に、プレスへの対応に追われる審判団と記録員、執念で試合を成立させて、ホ
ッと胸を撫で下ろす主催者…。


 ▲ロッテ・有藤監督
  現役時代を通じても初めてのことだよ。それにしても柏崎のファンは、
  よう帰らんと最後まで見てくれた。

 ▲南海・門田
  やっぱりこういう試合は疲れますわ。すっきりその日のうちに勝負を
  付けんと。まあ、初回のホームランは中断したとき一時は諦めていた
  んやから、贅沢は言っておれんかな。

 ▲南海・井上
  結構暗かったけど、もう1回くらいできると思ってました。
  まさか1球も投げないうちに僕のところでサスペンデッドなんてびっ
  くりしました。

 ▲ロッテ・佐藤健
  サスペンデッドになるんじゃないかと、ベンチの中で囁き合ってたので、
  別に驚きませんでした。でも、また仕切り直しなんて変な感じですね。

 ▲寺本責任審判
  選手はやる気十分だったが、これだけ見にくくては危険なので決断した。
  こんなことは(23年間の審判生活でも)初めてです。

 ▲帖佐益雄・パ公式記録員
  いやあ、テンテコ舞いだったですよ。こんなことは初体験でしょう。
  パ・リーグ協定事項などで確認して、報道陣の質問に答えていたんですが、
  もう汗びっしょりでした。

 ▲高橋久・新潟日報社事業局事業部
  (サスペンデッドも、試合成立に)執念ですよ。お客さんも全然帰らないで
  最後まで見てくれました。

 ▲宮田隆さん(会社員)
  雨が降っても帰る気はなかったですよ。こちらではプロ野球を実際に見る
  チャンスは少ないし、楽しかったですよ。もっと試合をやってほしいです
  ね。

 ▲大貫浩さん(自営業)
  家族揃って来たんだけど、雨の中、よくやってくれたよ。もう1ヶ月も前
  からこの日を楽しみにしていたんだ。

 ▲西武・毒島総合コーチ
  (21年前のサスペンデッドゲームに、東映の右翼手として出場)
  ああ、確かそんな試合がありましたね。その後、東映戦の本チャンの前に
  1イニングか2イニングやった覚えがありますよ。でも私も2000試合以上
  出てますから、かすかな記憶しかないね。


規定について
■続行方法は?
 原則としてはその球場の次回の同カードのシングルゲームの前に行うことになってい
る。しかし、柏崎ではゲームが開催されないため、次回の南海のロッテ戦主催ゲームの
平和台での第1戦に先立ち行われる。
 試合は4−4の8回表、ロッテの攻撃が一死無走者の場面で再開する。両チームの出
場者と打撃順は全く同一にしなければならないが、規則によって認められる交代は可能。
南海の投手は中条だったが、もちろん出場しなくてもよい。停止試合に出場しなかった
選手は、続行試合に代わって出場できるが、停止試合に一度出場した選手は出場できな
い。

■入場料は?
 試合は既に5回を終了して成立しているため、この日の柏崎の観客には入場料を払い
戻さない。7月7日の平和台の試合は1試合分の入場料で観戦でき、ファンにとっては「お
まけ」となる。

■米メジャーリーグでのサスペンデッドゲーム
 この前年の86年は両リーグ計7試合。引分けがないため、9回終了時に続行不可能とな
った場合も、同点ならサスペンデッドゲームとして後日決着をつける。9月2日のカブス
−アストロズは14回を終わって4−4のまま日没サスペンデッドとなり、翌日再開し、
延長18回、アストロズが8−7で勝利した。この当時、カブスの本拠地・リグレー・フ
ィールドは、ホームゲームをすべてデーゲームで開催する球団方針をとっていたため照
明設備がなく、7試合中4試合が、このリグレー・フィールドでの試合だった。

■ゴルフ、テニスのサスペンデッドゲーム
 ゴルフでは雷、雨、日没などによってプレーの続行が不可能な場合、競技委員会が翌
日延期を決定した時点でプレーをやめる。ホールアウトしていない場合はボールの位置
にマークし、翌日その地点からプレーを再開する。その際、前日とクラブ構成を変える
と、ペナルティとなる。
 テニスも、プレー不可能になったときのスコアで、翌日再開する。

■アマチュア野球では?
 高校や大学ではコールドゲームを採用しているため、サスペンデッドゲームは行われ
ない。社会人は、都市対抗はじめ各地区、全国大会でもサスペンデッドを採用している。
公式戦では2年に一度くらいある程度とのことだ。


この試合の記録
■記録の扱いについて
 この試合での記録は“一時預かり”となり、続行試合が完了した時点で初めて記録さ
れる。例えば前日まで10本塁打の門田はこの日、1回に2ランを打ったが「11号」とはし
ない。後日打った本塁打が11号と記録され、この日の2ランは、7月7日の続行試合が終了
した時点で追加される。但し、連続試合出場記録については対象になる。
 また対戦回数については「7回戦預かり」とし、翌24日以降の最初の対戦はそのまま
「8回戦」となる。





昭和62年5月23日 柏崎市営佐藤池野球場
14時32分 12,000人
2時間8分(中断1時間4分)

7回戦(南海 4勝2敗1預)

O 1 0 0 2 0 1 0 0s
H 4 0 0 0 0 0 0
8回表1死、日没サスペンデッドゲーム

<HR>水上3号(西川) 門田11号(3、石川) 高沢5号(西川) 田野倉4号(西川)

以下はサスペンデッドとなった時点までの試合記録。
打者・投手の記録は預かりとなり、下記の記録はすべて参考記録。
この記録は試合が完了した時点で加算される。



ロッテ HR 1 2 3 4 5 6 7 8
(5) 佐藤健 3 0 0 0 .198 5 中飛 一邪 捕邪
H4 丸 山 1 0 0 0 .318 1 一ゴ
(6) 水 上 4 1 2 1 .351 3 左本 三振 中安 中飛
(8) 横 田 3 0 0 0 .250 2 四球 一ゴ 一ゴ 二ゴ
(9) 高 沢 3 1 2 1 .315 5 左安 左本 二飛
(3) 水 谷 0 0 0 0 .000 0
H3 田野倉 3 1 1 1 .357 4 二飛 左本 遊ゴ
(D) 芦 岡 2 0 0 0 .250 0 三ゴ 中飛
HD 上 川 1 1 1 0 .316 1 右2
(7) 庄 司 3 0 2 1 .296 0 右飛 左安 左安
(2) 斎 藤 2 0 0 0 .143 0 遊ゴ 二併
2 袴 田 1 0 1 0 .192 2 左2
(4)3 森 田 3 0 0 0 .100 0 左飛 中飛 投ゴ

29 4 9 4 .276 33 残4 併0


南 海 HR 1 2 3 4 5 6 7   
(8) 山 田 4 1 2 0 .286 0 左安 三ゴ 中安 三ゴ
(4) 湯上谷 3 1 0 0 .214 0 犠選 三振 投犠 二ゴ
(9) 山 本 4 0 2 0 .250 0 三振 右飛 中安 遊安
(3) デビッド 4 1 2 1 .304 6 中安 中飛 左安 中飛
(7) ハモンド 0 0 0 0 .253 3
7 門 田 4 1 1 3 .326 11 左本 振逃 中飛 中飛
(D) 加藤英 2 0 0 0 .328 3 四球 遊飛 三邪
(5) 河 埜 2 0 0 0 .306 2 四球 中飛 三飛
(2) 香 川 3 0 0 0 .075 0 右飛 遊ゴ 遊ゴ
(6) 坂 口 3 0 0 0 .171 0 二ゴ 遊ゴ 三振

29 4 7 4 .256 28 残7 併1



ロッテ
石 川 1 4 0 8 1/3 7 27 3 1 2 4 4 6.97
平 沼 1 0 0 10 3 2/3 15 41 3 2 0 0 0 2.84
園 川 0 1 0 10 3 10 34 1 1 0 0 0 3.41

南 海
西 川 2 3 0 7 3 1/3 16 53 5 1 1 3 3 6.05
矢 野 0 0 0 13 3 2/3 13 43 4 0 0 1 1 2.70
中 条 1 0 0 11 1/3 1 5 0 0 0 0 0 0.68


○走塁死 庄司(6回)  ○暴投 平沼(3回)

◇審判 PL新屋、1B岡田哲、2B永見、3B山崎、LL寺本、RL林忠




この続行分が7月7日に組まれたわけだが、それがただでは済まされなかったのだ。

どうなったかは第2章へ。



To Be Continued…