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現役コーチ



吉田 篤史 Atsushi Yoshida
新潟市(東京都豊島区生まれ) 1970.9.29生
 投 手 右投右打

日本文理高−ヤマハ→千葉ロッテ(92D1−03途)→阪神(03途−04)
 →横浜(05・コーチ)
<通算成績>292試合 26勝37敗6S 3.69
 小学校から新潟市に。日本文理高卒業後、ヤマハに入社。2年目の1990年、都市対抗では優勝
に貢献、胴上げ投手に。橋戸賞、若獅子賞を獲得する。翌91年もチームを都市対抗本大会に導
き、同年オフ、ドラフト1位(新潟県内の高校出身者では史上初)でロッテから指名、入団。

 ルーキーの1992年は、ロッテが川崎から千葉に移転して初めてのシーズン。5月から一軍に
加わり、1日の対近鉄戦(千葉マリン)で初登板。5日の対ダイエー戦(平和台)にプロ初先発で初
勝利をマーク。以降、先発ローテーションに加わり、21日の対ダイエー戦(千葉マリン)で初の
完投勝利、翌6月25日の対日本ハム戦(東京ドーム)で初完封をマーク。結局この年は規定回未
満(119回1/3)ながら21試合に登板して7勝9敗、防御率4.07の好成績をマークしたものの、13勝
をマークした高村祐(近鉄)には及ばず、新人王は逃がす。
 ルーキーイヤーでのこの成績で、大いに嘱望されたのも束の間、翌1993年からは勤続疲労に
よる右肩などの故障に苛まされ、登板数は2年間で僅か9試合にとどまる。
 しかし故障が癒えた1995年、リハビリを兼ねた米マイナー留学を経て、後半戦に戦列復帰。
ボビー・バレンタイン監督(のちにNYM監督)のもと中継ぎとして25試合に登板。1勝1S、1.00
をマークして復活を果たす。以降、河本育之(のち巨人)、成本年秀(のち阪神−ヤクルト)、
ブライアン・ウォーレン、小林雅英ら、歴代のストッパーにつなぐセットアップを務め、右の
中継ぎエースとして地位を確立した。
 2000年は序盤戦から先発総崩れで、5月から一時先発ローテーションに加わり、5月23日の対
近鉄戦(大阪ドーム)でルーキー時以来、実に8年ぶりの先発勝利もマーク。2001年もローテー
ションの谷間での先発を2度こなした。
 2002年は小林宏の成長などもあり、また選手会役員でもあることが影響したか(オフの契約更
改ではフロントに対して意見、待遇改善を訴えている)、40試合に登板こそしたものの、便利
屋的な位置付けで、勝ちパターンでの登板は数えるほど。プロ入り2度目の責任試合(勝敗、
セーブ)なし、という結果ではあったが、防御率は3.40とまずまずの数字を残した。

 2003年はオープン戦終盤で打ち込まれるなど絶不調。開幕は二軍スタートとなった。イース
タンではまずまずの投球内容だったが、若手の台頭で出番がなく、4月22日、阪神・橋本武広
との交換トレードが決定した。
 星野仙一監督が「豊富な経験から何かを持った男」と評すほど、中継ぎ右腕としての活躍が
期待されていた。しかし移籍直後、二軍調整中に右ふくらはぎ痛を発症し、約1ヶ月間戦線離
脱。復帰後も今ひとつ乗り切れず、6月17日の対近鉄前期7回戦(藤井寺)では2番手で登板も、
1回を打者12人に6安打9失点(すべて自責点)と大乱調。この試合で1−22と、最多得点差ゲーム
のウエスタンリーグ記録を献上する戦犯となるなど、散々。その後も主に中継ぎで登板を続け
たが、打ち込まれるケースが多く、21試合で1勝1敗0S、7.34と成績は全く振るわず、結局一
軍には合流できずじまい。二軍は後期優勝に続き、広島とのプレーオフでも勝利して、年間優
勝を達成したものの、日本ハムとのファーム選手権(長野)の登録メンバーからは除外され、完
全に蚊帳の外に置かれた格好になってしまった。プロ入り以来初めて一軍公式戦登板なし、故
障、不振と三竦み。期待に背く結果となってしまった。
 そして2004年も一軍登板はなく、後半戦は若手の台頭で二軍でも出番を失い、シーズン終了
後に戦力外を通告された。

 一時は現役続行のため、トライアウトへの挑戦も検討したが断念。翌2005年シーズンから横
浜ベイスターズの監督に就任する牛島和彦に請われ、一軍投手コーチに就任する。


 阪神での2年間は、今ひとつ消化不良のまま。中途半端な形でのリタイアとなってしまった。
しかし、いよいよ2004年秋から、第二の野球人生が始まった。牛島監督は、吉田がロッテ入団
時のエースで、吉田自身がプロ選手として生き抜くノウハウを学んだ先輩にあたる。一部の選
手名鑑に、プロ生活中、一番印象に残った事として、自身の故障と牛島の引退試合を挙げ続け
ていた程。
 横浜の投手コーチは野村弘樹との2人体制となる。ブルペンでの心得を、若手が多いリリー
バーに伝えてほしい。


出囃子:Kenny Loggins/Danger Zone

年 度 所属 背番 試 合  防御率   勝   敗   S 

1992 21 21 4.07 7 9 0
1993 21 7 7.15 0 5 0
1994 21 2 6.00 0 0 0
1995 21
0
25 1.00 1 0 1
1996 0 27 5.52 2 3 0
1997 13 41 1.56 5 3 2
1998 13 17 7.64 0 3 3
1999 13 29 2.36 1 2 0
2000 13 39 4.05 7 8 0
2001 13 44 3.09 3 4 0
2002 13 40 3.40 0 0 0
2003 13 一軍出場なし
34 一軍出場なし
一軍出場なし
2004 34 一軍出場なし

通 算 292 3.69 26 37 6

2005 YB 74 一軍投手コーチ










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