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| 現役選手 |
| 星野 順治 Junji Hoshino | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 西蒲原郡分水町(東京生まれ) 1974.6.18生 投 手 右投右打 新潟商−NKK→福岡ダイエー(98D4−) |
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| 128試合 42勝42敗0S 4.-- |
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| 新潟商時代は本格派右腕。夏の大会は、3年時の4回戦進出が最高。卒業時には中日などか らの指名オファーもあったが、NKK(硬式野球部の本拠地は広島・福山市)入社。 95年からの2年間は右肩など、度重なる故障に泣かされるが、97年には都市対抗で2試合に 先発するなど、見事復活。社会人時代は通算17勝をマークした。同年オフ、ダイエーから4位 指名を受け、入団。 1年目は一軍での登板は2試合にとどまったものの、2年目の翌99年には、課題だったサイド スローのフォームも固まって大ブレイク。特に5月2日の対西武戦(西武ドーム)ではプロ初先 発初完封を果たし、一躍ローテーションに定着。10勝をマークし、リーグ優勝の立役者に。 中日との日本シリーズ第4戦でも好投し、日本一にも貢献した。 しかし00年は、シーズン前に潰した右手指のマメの回復が長引き、僅か3勝にとどまった。 01年は先発陣が不安定な中、田之上慶三郎と共にシーズンを通じてローテーションをキー プして復活。自身初めて規定回をクリア、チーム最多の13勝をマーク。特に近鉄・日本ハム を相手に強さを見せた。 02年、シーズン序盤はとんとん拍子で4連勝。しかし、戦後初の日本プロ野球海外公式戦と なった5月14日のオリックス戦(台北)では、セギノールに2本塁打を浴びるなど3失点で7回途 中でKO(試合はダイエーがサヨナラ勝ち)。これを皮切りに、それ以降は勝ち星に恵まれず、 また早いイニングで打ち込まれるケースも目立った。お得意様にしていた近鉄・日本ハムを 相手にしても勝てず、中継ぎや敗戦処理、更には二軍調整までも経験。5勝目を挙げたのは 8月14日の日本ハム戦(福岡ド)で、3ヶ月ぶりの白星となった。しかしその後も勝ち星を伸ば せず、結局シーズン成績は9勝10敗にとどまり、規定回にも僅かに足りなかった。 03年、オープン戦開幕直後に右肘に炎症を発症。二軍で調整を続けるも状態は思わしくな く、検査した結果、肘に遊離軟骨(ネズミ)が見つかり、5月23日に除去手術。前半戦いっぱ いをリハビリと二軍調整に充て、リーグ優勝目前の9月27日に昇格。 その27日、マジック2で迎えた対オリックス27回戦(ヤフーBB)に3番手でシーズン一軍初登 板。2回完全で試合を立て直したものの、3イニング目の7回に、谷の遊ゴロ失策から崩れて 無死満塁とし、山崎に逆転満塁本塁打を献上。試合は延長戦にもつれた挙句、サヨナラで敗 戦。ダイエーは30日に優勝を決めたが、翌10月1日の千葉ロッテ27回戦(千葉マリン)に、斎 藤和巳に代わって先発(表向きには、右肩の張りと寝違えたのが理由とされたが、勝ち頭と いうことで先発を免除され、明け方まで酒席を挙げていたというのが実際のところらしい)。 前夜はビールかけだけで切り上げて臨み、8回を完投して5失点。敗戦投手となったものの、 復帰後初先発でまずまずの結果を残した。日本シリーズはロースター枠に入るまでで、登板 はなし。オフの更改でも限度いっぱいの25%減でサイン。 和田、新垣、杉内、寺原ら若手の台頭が著しい中で、何としても存在感を示したい2004年。 オフ中も自宅や実家でトレーニングを続けたものの、キャンプでは故障などもあり、シーズ ンは二軍スタート。4月13日に中継ぎ要員として一軍に復帰した。 4月23日の日本ハム4回戦(札幌ド)、予告先発されていた和田毅が腹痛と下痢を訴え、ウイ ルス性胃腸炎と診断され回避。急遽代役として星野が先発した。しかし一時同点に迫られな がら7回6安打3失点と好投し、02年9月15日のロッテ戦(福岡ド)となる、586日ぶりのシーズ ン初勝利。これを足掛かりに先発ローテーションに復帰を果たした。夏場は不安定な投球が 続くなど苦心。2度の二軍調整を強いられた。8月31日の日本ハム23回戦(福岡ド)、2回6失点 でKOされたのを最後にローテーションを外れ、中継ぎに降格。結局、先発としては6勝をマー ク。9月は2試合に登板し、1勝。12日に岡本に代わって二軍に降格し、プレーオフの期間中に も登録されず、シーズンを終えた。 02年4月21日、近鉄戦(大阪ドーム)の5回、8番で出場の五十嵐章人に1号2ランを献上。五十 嵐はこの本塁打で、全打順本塁打を記録した(日本プロ野球史上6人目)。 02年5月14日、台湾での公式戦初戦で先発。日本プロ野球の公式戦では、戦後初めて海外の マウンドに立った投手ということになる(ダイエーの主催ゲームのため、先守)。 99年オフに帰省中、交通事故に遭った親子を介抱して話題になるなど、心優しい一面も持 つ(因みにこの事が明るみになったのは、何故か地元ではなく、福岡の方が先だった)。 危機感を持って臨んだ2004年シーズン。秋季キャンプではカットボールの習得に励み、自主 トレも早めに身体を作り、キャンプ前には立ち投げを開始するなど、意欲的に取り組んだ。 4月下旬、和田のアクシデントをきっかけにローテーション復帰。ほぼシーズンを通してロー テーションを守ったが、夏場の不調に2度の二軍落ち、更に終盤で尻すぼみとなってしまうな ど、必ずしも100%の貢献度とは言い難い部分もある。 また対戦別の内容を見ると、近鉄戦4試合で2勝1敗・2.95、オリックス戦1試合で1勝・1.29、 日本ハム戦7試合で3勝2敗・4.40と比較的コンスタントな内容だったものの、西武には3試合で 0勝2敗・4.70と勝ち星なし、更にロッテに至っては6試合で1勝3敗・6.82と攻略されている。 ホークスの現役勝ち頭(通算42勝)でもある星野としては、このカモと苦手の克服というのが 慢性的な課題となりつつあるところ。対戦カード別のムラを減らし、若手に良い手本を見せた い。 |
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| たぶん、週刊ジュンヂ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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