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| 現役(元)選手 |
| 富樫 和大 Kazuhiro Togashi | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 岩船郡山北町(村上市) 1980.10.25生 投 手 右投右打 新発田農高−川崎製鉄千葉→日本ハム(02D6巡−04) →バイタルネット(05−) |
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| <通算成績>一軍戦出場なし |
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| 中学時代から野球を始める。高校時代は1年秋からエースに抜擢。2年時の1997年北信越 秋季大会は決勝に進出し(対敦賀気比、準優勝)、センバツ出場。3年時の1998年・夏の県大 会にも優勝し、2季連続甲子園出場を果たすが、いずれも初戦敗退に終わった。 バッテリーを組んでいたのは同年オフ、巨人の指名を受けた加藤健。 卒業後は川鉄千葉に入社。怪我などでベンチ入りできない時期もあったが、入社2年目の 2000年は先発陣に名乗りを上げ、都市対抗・第二次南関東予選では2回戦・対日本通運戦で 完封をマークするなど好投し、MVPを獲得。01年、春のスポニチ大会では2回戦・対ヤマハ 戦で2失点完投、都市対抗の本大会にも2年連続で出場した。 2001年オフ、日本ハムの6巡目指名を受け入団。日本ハムは隠し球として、高校時代から スカウティングを継続していたとか。 即戦力を期待されていたが、ルーキーイヤーの2002年シーズンは大誤算。相次ぐ怪我で 春のオープン戦はおろか、結局一軍、二軍とも公式戦の登板がないままシーズンを終えて しまった。ルーキーイヤーの初登板は、10月25日のコスモスリーグ最終戦・対ダイエー戦 (日本ハム鎌ヶ谷)。 2003年、二軍スタートも先発ローテーションで調整を続けていたものの、4月下旬に右 肩の故障を再び発症。シーズン中盤にオーバースローに転向。その後はイースタンで中継 ぎとして登板、結局9試合で0勝1敗0S、3.79という成績だった。阪神とのファーム選手権 (長野)では登録メンバーに入ったものの、登板機会はなし。 2004年も肩や肘などの故障は癒えることなく、結局シーズン後に戦力外となった。その 後、合同トライアウトの受験も検討したものの断念。地元の後援者の紹介により、2005年 から社会人野球のバイタルネット野球部に所属する。 日本ハム入団時の触れ込みとしては、172cmと小柄ながらバネがあり、サイドスローから 繰り出すMax140km台中盤の直球に、切れのあるスライダーが持ち味、ということだったが 相次ぐ故障から、オーバースローへの転向を余儀なくされた。 高校時代からの古傷など、相次ぐ怪我で、結局3年間のプロ生活は不完全燃焼のまま終え る事となった。幸いにも、地元の社会人チームでプレーを続ける事になったが、慢性的な 故障持ちゆえ、不安要素が付いて回ることには変わりない。少しでも長く現役プレーヤー として活躍するため、身体のケアを充分に行う必要があるのは、プロだろうとアマだろう と然り。再起を期してほしい。 |
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