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| 現役(元)選手 |
| 栗山 聡 Satoshi Kuriyama | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 新潟市(新発田市) 1974.6.15生 投 手 右投右打 新発田中央高−東農大生物産業学部→ オリックス(97D5−01)→中日(02−03引) →オリックス(アシスタントスタッフ・04−04途)→オリックス(04途−04) →松下電器(05) |
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| <通算成績>56試合 1勝4敗0S 6.25 |
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| 新発田中央高3年時はエース。夏の県大会は3回戦で惜しくも敗退。 卒業後、北海道網走市にある東農大生産学部へ進み、4年時には春季リーグ戦に先発した5試合をすべて完封で飾り、優勝に貢献。96年オフのドラフトでオリックスの5位指名を受け、同学部出身者初のプロ選手となる。 公式戦初登板は2年目の98年6月21日・対西武戦(ナゴド)。一軍初登板を先発で飾り、5回を無失点に抑え、初勝利を手にした。 通年一軍は未経験だったものの、00年は先発陣入りを期待され、自身初の開幕一軍入りを果たすが、結果を残すことはできず。8月7日の対西武戦(GS神戸)、9回表二死満塁から代打で出た投手・松坂大輔に中前2点適時打(プロ初安打)を許す。DH制以後、パの投手が安打を打ったのは史上4人目で、パの投手による代打安打は25年ぶり、2打点は史上初。この珍記録をお膳立てしてしまった。マウンドで目を潤ませ、ひどく悔しがったが、横浜高時代は5番打者としても鳴らした松坂が相手とあっては、致し方ないところだった。 01年は遂に一軍に昇格できず、二軍・サーパス神戸でも防御率7点台と結果が出せなかった。人手不足という二軍のチーム事情に翻弄された部分もあって、9回11失点完投というケースも。怪我にも泣かされた。シーズン終了後に戦力外通告を受け、10月30日の合同トライアウトに参加。その後、同じくオリックスを解雇された木村昌広投手と共に、中日の秋季キャンプにテスト生として参加し、採用が決まった。再出発を期すべく、背番号は「0」。 02年は、二軍でこそローテーション投手として6勝3敗1S、2.16(ウ防御率2位)と好成績を残したものの、一軍初登板となった6月29日の広島戦(ナゴド)では、相手の連打攻勢に呑み込まれて一挙4失点。結局、一軍には2度昇格、4試合の登板にとどまった。 03年も二軍スタート。5月25日の対広島前期7回戦(蒲郡)では1回を6失点など、特段目立った内容を残すことができず、結局シーズン中の一軍昇格はなし。19試合で0勝2敗0S、4.82という成績もさることながら、オリックス時代からの師匠だった山田久志監督の途中解任もあって、シーズン終了を待たずに戦力外通告を受け、シーズン終了と共に自由契約となった。 中日解雇直後は現役続行の意向だったが、オファーがあったオリックスに、アシスタントスタッフ(打撃投手)として復帰することになり、現役を退いた。「どんな形でもいいから、息子に父親のユニフォーム姿を見せたい」と、打撃投手としての“現役”の道を選んだ格好。背番号は「101」。 2月の宮古キャンプから一軍に帯同。ほぼ毎日、試合前の打撃練習に登板していた。 ところがオリックス投手陣は、5月半ばで12球団ワーストの6点台の防御率と、昨季来の投壊が深刻化。特に手薄な中継ぎ投手陣の補強が急務となった。そこで球団は引退1年目の栗山に白羽の矢を立て、現役復帰を決定。5月14日、支配下選手として公示された。 現役復帰の記者会見で、栗山は「1週間前に(伊原)監督から打診され、まだやれるという気持ちがあったので(復帰受諾を)即答した。一生懸命投げるだけでなく、少し違った見方でピッチングができるようになったと思う」と語り、3ヵ月半の打撃投手経験をフィードバックすることを誓った。早速サーパスに合流し、5月25日の対阪神前期6回戦(鳴尾浜)でプロ復帰初登板。2/3回を無失点と、無難な再スタートを切った。6月5日、対大阪近鉄前期8回戦(藤井寺)で4−4と同点の8回から4試合目の登板。サーパスは延長10回に勝ち越して、その裏の攻撃も退けて、プロ復帰“初勝利”をマーク。この好投で一軍昇格の切符を掴んだ。 6月9日の対千葉ロッテ13回戦(ヤフーBB)で、復帰後一軍初登板。ロッテの完全なワンサイドとなった中ながら、1回を無失点。試合後「もう一度マウンドに立てて嬉しかった。割とと落ち着いて投げられた。緊張してどうだとか、そんな事も言ってられないですから」と声を弾ませた。しかし伊原監督はこの試合で先発以下、登板する投手が悉く失点を繰り返したとあって、とても現役復帰を喜ぶどころではなく「バッピ上がりが抑えたのを、他の連中がどう思うかだ。誰でもすぐに打撃投手になるような投手ばっかりだよ」と狼狽を繰り返していた。それだけに、栗山の好投は光った。結局この後、中継ぎとしてシーズンを通じて登板。2003年までの通算登板試合数と同数の28試合を投げ、0勝1敗・4.73と、投壊の中でコンスタントな内容が光った。 しかしオリックスはこの年、近鉄との球団合併騒動に巻き込まれた。栗山は球団から嘱望されてはいたものの、プロ選手としての生活を終え、社会人チームでアマチュア復帰する道を選択。12月1日付で社会人の松下電器に登録された。退団にあたって、栗山は「打撃投手を務め、選手と裏方両方の気持ちがわかるようになった」とコメント。05年から、第三の野球人生が始まる。 野球選手としては、三度死んだ身。 次、四度目に死ぬときは、100%満足して、現役を全うする時であってほしい。 |
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| ・たけのりさこ厩舎/おかえり!栗山聡 ・新潟日報・連載「あした天気に」第9回 “再起かける背番号ゼロ”(2002.2.24) ・NHK総合テレビ「生活ほっとモーニング」 “とびっきり家族 再出発にかける”(2004.3.24OA) ・松下電器 野球部 |
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