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| OB選手 | た行 |
| 高頭 時夫 Tokio Takatoh |
| − 1933.5.4生 投 手 投打 長岡商→阪急(52−57) |
| 7試合 0勝0敗 8.25 |
| 高校時代は、県内の陸上大会でも屈指のスプリンターとして鳴らしたが、 プロ入り後は一軍の壁は厚く、6年間で未勝利に終わった。 |
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| 土佐内 吉治 Kichiji Tosauchi |
| 新津市(山形県鶴岡市) 1922.9.−生 内野手 投打 鶴岡工−新潟鉄道局→国鉄(50−51) |
| 65試合 .243(74-18) HR-0 RBI-7 ※投手:1試合 0勝0敗 ∞ |
| 中学時代、鶴岡工業学校ではエースで主軸。40年春、新潟鉄道局(現JR東 日本新潟支社)に入局。主力選手として新鉄局を牽引するも、43年1月に応 召、旧満州で兵役に就く。終戦後のシベリア抑留を経て48年6月に復員し、 新鉄局に復職、再び主力選手として活躍。 50年2月、国鉄スワローズの創設メンバーとして入団、記念すべきセ・リ ーグ開幕戦ではスタメン出場を果たした。しかし内野陣の層は厚く、レギュ ラーを奪取することは出来なかった。51年12月に戦力外となり退団、僅か 2年間のプロ生活を終え、再び新潟鉄道管理局に復職。 以後、78年3月の定年まで、選手として、また現役引退後もコーチ・監督 として、新鉄局野球部を支え続けた。新潟県内でプロ野球公式戦が開催され る折には、世話役を務めていたこともある。その他、NHK新潟放送局の高校 野球中継の解説を務めるなど、プロ・アマ双方に精通した、新潟県球界の ご意見番として広く親しまれていた。 因みに鶴岡市に在住していた父・佐吉氏は無類の高校野球ファンで、生前 は暇さえあれば鶴岡市野球場(99年取り壊し)のスタンドに姿を見せ、地元フ ァンの間で「じじはん」の愛称で親しまれていたという。 |